因果応報

因果応報より最近は自業自得を使う方が多い気もします

批判されたり他人から酷評されるときに見られますが
自分自身で「やっぱこりゃ自業自得だな」なんて
一人で納得するときなどが多いと思います

納得して反省してやり直せばよいのですが
逆に
開き直りのような言葉にも聞こえますよね

自業自得と因果応報には深い意味があります

自業自得から考えて見ましょう

自業自得だ!と言われて
あんまりよい気はしませんし
良い意味でも使われません

自業=
自分自身の行い。
自得=
自分の努力や体験によって理解し得たもの。
(別の意味には自分自身に対してのうぬぼれ)

うぬぼれに関しては
自得なんて最近は言いませんから意味としてだけ知っておきましょう

では
自業はそのままですから分かりますね
自得は努力や経験によって得たものですから
その得たものが問題です
得たものの中には悪いものだけでなく良いものも含まれます

自分で努力して劇団のオーディションに合格したときなど
実は
良い意味でも自業自得だと言えるのが本来の意味です

仏教用語から来ています
自業自得の教えは
自分の行いの結果を自分が受けなければならない
自得=自らがすべて得るということです

ではなぜ悪い意味で使われるようになったのか?

これには因果応報が関係してきます

因果応報も仏教用語です
原因に応じた結果が報いるという意味です

報いる=
恩であるとかの受けた物事に対して、それに見合っただけの事をして返すこと
つまり
恩返し的な言葉です

昔から言い伝えられていることに
良い(善い)ことをすれば良いことになって返ってくる
悪いことをしたら悪い結果が待っている・・・

若干それぞれの地域とか伝承の違いで言い方は違うと思いますが
同じような意味のことは誰もが聞いて育っているはずです
これは世界、万国共通だと思います

例えば
学生のころ
近所の食堂のおばちゃんによくしてもらった
苦しい時は、ごはんも食べさせてくれたり
励ましてくれたりもした、時には怒られもしたが
そのおかげで卒業でき今は立派な会社の重役になることができた

その恩返しをするためにも
今は自分がしてもらったことをボランティア活動として
子ども食堂を始めた・・・とか

これは立派な因果応報なんです

この場合の因果は
食堂のおばちゃんが善いことをたくさんした

そして応報は
自分自身が同じように善いことをして恩返しする

こうやって昔から人から人へと伝承されていく

しかし
善いことばかりが伝承されません
皮肉なことに
どこかの時代で善行が悪行に変わってしまったら
今の自分がそれを引き継いでいるのかもしれない
つまり
善い行いをしてくれた恩を受けたのに
その恩は忘れてしまい悪行に手を染めてしまった
恩を仇で返すなんて言いますが
まさにそれです

これは昔昔のことであって
自分自身の記憶はもちろん記録にもないかも知れません

仏教は1500年も前から教えを説いています
この因果応報は
前世、今、来世へと続くと教えています

仏教のことは難しいし私も詳しくありません
しかし
日本の教育も含めて親から子へ伝える時には
昔話、おとぎ話であったり民話とかで伝えられることは多いですね
その物語の中には仏教の教えがとても多く使われています
仏教の難しい概念を払拭して
分かりやすく身近なものに例えたりされていますね
「鶴の恩返し」「浦島太郎」などもそうですね

近年は「裏設定」とか「見るなのタブー」なんてモチーフもありますが
(↑いつか機会があれば書くかも?後付け理論的で世界中にあるし興味はあります)

今回それは置いといて素直に考えます

親から子へと伝えられるときに
悪いことするとお化けが出てくるとか
悪いことしたら鬼がくる
など
悪いことをしたら・・・と言われてきましたよね
つまり
因果応報の悪い行いの方だけが
自業自得の悪い行いの方だけが
現代の使われ方になったということです

仏教用語から昔話、民話そして今現代の言葉の意味と言う具合でしょうか

自業自得だと思ってから、やり直すべきではない

もしあなたが体操の選手だとしましょう

今回の大会で予想以上に結果が残せなかったとき
コーチから
「メニュー通り練習して指摘したメンタルトレーニングに参加していなかった」
「なぜ言われたことをしなかったのか?」
「今回の結果は自業自得だと思いなさい」
っと言われたら
コーチだから厳しいことをズバッと指摘して自業自得だと叱咤されたんだと思います
あなたの事を親身に思っているから出た言葉ですよね
他人はあんまり「自業自得だ!」とまでは言ってくれません
したがって
こういうケースは素直に自分に落ち度があったと認めて
次に向けてやり直しましょう

では
誰かに言われるまでもなく自分自身で「自業自得だな!」
先にも書きましたが開き直ってしまうときは

もうすでに手遅れです

最初から努力しようとか頑張ろうという気持ちがないからです

例えば
禁煙をしないと体に悪いし現代の常識みたいになってきています

「よし取り敢えず禁煙した方がよさそうだ!」

喫煙歴20年だとしましょう
「まず本数を減らそう」
「とりあえず明日から」
こういう気持ちでは無理ですね(経験者は語る《僕です》)
また
お酒を飲むとついつい吸ってしまう
結果
いつまでたっても禁煙できない
自分でも「自業自得だと思う」

最初から絶対にやめなければならない理由がないからですね

そして
「まあ、そのうちやめる時が来たら止める」
こうして開き直るんです

そして
ついに止めなければならない時が来ます
「脳卒中で倒れる」
必然的にやめなければなりませんが時すでに遅し
命があっただけまし・・・

あくまでも一例として書きましたが
自分自身で自業自得だと気づく場合は
たいてい最初から結果がわかっているときです
今回の例は
禁煙できるかできないか?
禁煙する意思が元からなかったからです
病気になる前に禁煙するキッカケを作らなければなりません
どんなことでも良い
何なら病院に行って禁煙外来を受診するのも良い
嫁さんや子供がいるなら、もしくはパートナーとかに
文章に書いて誓約書を作るとか
内容は厳しい方が効果はあると思います
無理やりでもキッカケを作ることです

意識して行う作業ですね

自分自身で自業自得と言うのは自分にうぬぼれてるだけです
(自得=うぬぼれがここで繋がったかもしれません)

自業自得も因果応報もとても奥深い言葉です
あんまり簡単に使える言葉でもないようですね

近年はSNSなどで簡単に批評も酷評も書けますし
書いている人も多いです

著名人や有名人の失態などは
平気で「自業自得だ!」なんて書いてあるのをよく見ます
確かにそう思うかもしれないし、そうかもしれませんが
僕は思っても口にしないしSNSなどでは書きません

因果応報の教えにしたがうと
悪口を言うとそれは自分に返ってくるからです(笑)

まあ、著名人や有名人になることは
SNSなどで書かれることも含めてですけどね

ポイント
それよりも
自分自身で自業自得とだと思うことが無いようにしましょう
(善い意味での自業自得は全然OK)

最後にまとめ

仏教用語から今現代の普段使いしている言葉はたくさんあります
無理に
言葉の本来の意味とかは知らなくても良いかも知れませんが
少し豆知識的に知っておくと話題つくりにもなります
そしてなにより
自分自身の戒めにもなりますしね
これからも思いついたら書いていきます