無念

人生ってもしかして歳を重ねれば重ねるほど
無念と思うことが増えてくるのかもしれないですね
筆者である私も無念だと思うことは多々あります
人それぞれに無念の数だけ人生はあるとも言えます
無念以外に残念とも言います
残念無念がまさにそうですよね
その無念と残念の意味を紐解くと
もしかしたら少しは気が晴れるかもしれません

無念と残念は密接にとても関係している言葉である

日々今日も誰かが
「無念だ・・・」
「無念、もはやこれまで・・・」
「無念の一言に尽きる!」
など「無念」という言葉を使っていると思います

無念は悔しいとか悔いが残るとか残念だという意味で使われていますが
元々は仏教用語でもあります

仏教用語としての無念は
無我の境地
とらわれを取り除いた思い
執着などない正しい思い
心が動揺せずしずまっている状態
正念、無想である

国語辞典などには
この仏教用語と
もう一つの意味として
悔しい、口惜しい、残念な気持ちなどと書かれています

普段の生活での会話、執筆、記事では
後者の悔しい、残念という意味で使われることがほとんどです

厳密にいえば
仏教用語として使われる無念と
悔しい、残念として使われる無念は相反するものであるかもしれません

ですから別々の「語」として考えるべきです
日本語特有の言葉であり
英語で無念といえば
Regretとかchagrinというのが一般的です

しかし
それでは今までの無念が本当に無念に思えます

次にこの無念の無と残念の残を考えてみました
(無残な結論ではないですからね)

仏教用語である無念の念は
邪念と正念の二つの意味だと考えましょう

先ほども書きましたが
正念は邪念がなく無心であることが無念です
これは「無念無想」となります

それと相反する言葉に
「残念無念」があります
正念を失って悔しく思うことです

ここからが少し心が安らかになる解釈です

念をもう少し考えてみます
今の心ですよね

では無念は今の心は無いということにもなります
残念は今の心が残っているということです

一つ例を考えてみました
「僕は音楽家になりたかったけれど家業を継がなければならなくなり音楽家の道は閉ざされた。
しかし家業と音楽家と二束のわらじは履けないものかと日々無心に考え続けた。
結果として無念ではあるが今は家業に専念することに決めた。
ただ
数年後何らかの形で音楽には携わっていきたいと思う気持ちは残っている」

何気ないよくある文章だと思いますが
「無念ではあるけれど気持ちは残っているということです」
この部分を省略すると一言で「残念」とも言えます

つまり
無念(無の境地)だからこそ無念(残念である)とも言えるのです

無の境地に自分自身を置くことができたら
念(今の心)がハッキリと見えたのかもしれません
その時の残念はもしかしたら悔しいと捉えるより
まだまだ気持ちが残っていると考えると前向きになれます

無念は残念無念として残念を意識して前向きに変えていこう

残念無念

残念だと思うときを思い起こしてみる
人生で残念だと思うことは数えきれないくらいあるものです
その中で
もうどうすることもできない残念なことは何か
例えば
「身内や親友を病気や事故で亡くした」
この場合は亡くなった人が帰ってくることはありません
ここで重要なのが
亡くなってしまったことがどうしようも避けられなかったときは
本当に残念であるとしか思えず
一生心にその人を思い続けていくことだと思います
もし
非のない事故であったり事件であったりすると
それは残念という言葉では済まされません
必ず恨み憎しみが生まれて無念という悔しい気持ちの方が強いと思います

人命にかかわる無念とか残念はセンシティブな事案ですから
軽々に理解することも難しいことです
今回はそういうことでない残念です
例えば
「応援しているサッカーチームが負けた」
「楽しみにしていたランチが今日は売り切れだった」
「コンサートのチケット抽選で落ちた」
「イベントが雨で中止になった」など
これらはよくよくある残念です
たいていの人はこの残念にはまた次頑張ろうと思えますw
客観的な事情でもあります
「恋人に振られたそうだね」
「受験で不合格だったそうだね」
「コンペで勝てなかったそうだね」など
他人の相談とか事情でも残念だったねと言います
この時
たいていの人は残念だったけど良い経験ができたし
次があるから糧にしてまた頑張れ!
そういう励ましの言葉をかけると思います

この励ましの言葉がかけれる、言える残念は未来を見ています
済んでしまった心残りだけどまだチャンスがあるということです

これは他人から言われるまでもなく
自分自身が一番よくわかっていることだと思います
つまり
悔しいけど次にまたチャンスがある残念なことの方が多いということです

一度過去1年でも1週間でも昨日のことでもいいですから
残念に思ったことを書き出してみるといいかも知れませんね

キット
ほとんどが大したことのない残念です
でも
少し深刻な残念だとしてもそれは気持ちの持ち方で
未来へと繋がるはずです
それは
意識して残念な事柄を整理して
未来へつなげるようにする必要はありますが
人生はその繰り返しですからね

年齢と共に残念な気持ちも薄れないようにすることが重要

人生100年時代だとか高齢化の問題もかかわってきます
これについては以前の記事を参照してください

生まれて物心ついた時から悔しいと思うことは経験していきます
先ほども述べた通り悔しいと残念は密接に関係しています
「悔しくて残念」なことなんですが
悔しいと残念はあえて意識して分けておきましょう

悔しいと思うことの要因の問題です
全く自分には非がない場合は先ほど述べたとおりです

逆に
自分の力不足であったり
リサーチ不足であったり
詰めが甘かったりしたときは
悔しさの要因は自分自身です

つまり
残念=心残りが強くなります
その時に
良し次はもっと頑張ろう!負けない!
そういう気持ちがわいてくるものです

しかし
年齢と共に体力も衰えてくると
その次頑張ろうという気持ちが萎えてきます

そうなると
残念と思うことが後悔になりがちです
後悔は取り戻せないんです
年を取っての後悔は愚痴にしか聞こえません
そうならないように
年をとっても
純粋に残念と思える気持ちが大事なのです
ポイント
そのために
体力をできるだけ維持していくことですね
そして
ある年齢に達したから
昔、残念に思ったことが、もしかしたらやり直せるかもしれん
残念で終わらせていたことを再度挑戦するときかもしれませんね

最後にまとめ

何気なく使っている
無念、残念、残念無念
少し捉え方を変えてみると無念で残念だったことが
可能性に変わるような気もします

一言でいえば
気持ちの持ち方次第ですが
その気持ちの持ち方は意識して変えていく必要はあると思います