輪廻転生

輪廻転生と言う言葉は
最近アニメで使われたりアニメソングでも使われたりしています
また映画やドラマでも輪廻転生とかカルマも使われていますね

普段の会話の中であまり使わないかもしれませんが
輪廻転生は日本では死生観を語るには不可欠ですね

輪廻転生は奥深い意味を持ち続けていています
その意味を深堀して考えましょう

輪廻転生について簡単に説明することは不可能と言っても良い

輪廻転生の記事を書こうと思ったのは
今までの記事で
禅の言葉とか仏教用語の語源であるとかを例にして
現代の言葉の原点だとか言葉を正しく理解して
現代社会、未来に向けて役にたてればと思って書いています
そういう意味で輪廻転生のテーマは難しいですが
複雑に考えすぎず生きるために少しでも役に立てばと思っています

先ず
輪廻転生は英語ではReincarnationと表現される事が多いですね
Reincarnation(レインカーネーション)は
漫画、映画、舞台劇、J-popの歌の題名などにも使用されています

冒頭でも書きましたが
日本語の輪廻転生も英語のReincarnationも響きが良いのと
解釈の仕方は無数ですし表現の仕方、歌詞にも使いやすいのかもしれません
ただ
インド本来の輪廻転生とは全くの別物であると考えてください
(特にカルマ(後ほど説明)の概念は違うものである)

では
輪廻転生は
「輪廻」と「転生」に分けて考えていきましょう

輪廻

※「ヒンドゥー教」の輪廻思想の始まりは
「信心」と「業(カルマ)」(※カルマ=直訳は「行為」「行為の蓄積の宿命」)によって
来世の宿命が決まるとされています

※「ヒンドゥー教」の前身はバラモン教であり
様々な思想家や、他宗教であるジャイナ教、仏教などの輪廻観の影響を受けた輪廻説

※「カルマ」過去での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる
因果応報の法則のことであり、インド占星術の土台であるヴェーダ哲学の根底に流れる思想

つまり
カルマ(行為)の結果は直ちに、現れる事柄もあるし
その事柄の行為がまた次の結果となり繰り返される輪廻の原因だとされている
ただし
天国での永遠の神の恵みや地獄での永遠の罰則はこの世以外であるから
「この世以外の来世は輪廻のサイクルのつり合いが取れないためあり得ない」
と考えられた

仏教では
輪廻は苦、輪廻から脱することをが目的

先ず
「我(が)」に永遠の魂は想定しない「無我」
無我でなければ輪廻転生は成り立たないというのが仏教の教えです
つまり
我が存在し続けるなら永遠に輪廻を続けることになる(恒常)
我が無常ならば我はいずれ滅び輪廻は成立しない
チョット解りにくいですね・・・

仏教では

 

A 心は
B 認識のエネルギーの連続などから生じる錯覚が自我
C 自我
D 無常であるがゆえに自我の霊魂は否定
E 死後、認識のエネルギーは消滅
F 別の場所に似たようなエネルギーが生まれる
G 消滅したエネルギーと新しく生まれたエネルギーは別物
H 流れとしては一貫しているから、意識が消滅することはない
I Fは生命が存在中でも起こっていること(心の変化、意識の変化)
J 仏教における輪廻は心の変化、機能を知ることが必要
K 死後を説く教えの一つではない

次に

転生は
「生まれ変わり」「新生」と言う意味で
多くの宗教人類学者、哲学者、神智学などの研究対象であり
宗教的な概念でもあり哲学的な概念でもある
ただ
キリスト教とイスラム教の大多数は個人の生まれ変わりを否定している

ヒンドゥー教は
前身のバラモン教では肉体が滅んでも永遠に存在する「実魂論」である
しかし派生したインド仏教は先ほど書いた輪廻と同じで
苦から脱することが目的である
後ほど書く六道輪廻による生まれ変わりによる苦からの脱である

仏教では
無我、無常であるから実魂論とは異なるが
矛盾している部分もある

転生する前のことを前世もしくは前生
現在生きている今を現世もしくは現生
転生後は来世もしくは後生
これらを三世と言う

仏教の論理学派は意識は瞬間瞬間に変化して生滅を繰り返す
これを「心相続」と言う
「心相続」は「人の身体が死んだ後も次の世の最初の意識となる」
とされているのである
つまり
前世から現世に引き継がれるときに意識も引き継がれる
その繰り返しが来世にも続く・・・
となり
先ほどの輪廻の無我、無常の法則に当てはめると矛盾している

それを日本での仏教における輪廻転生の解釈によって解消されてきた

1つ誤解しないためにも言っておきますが
仏教はインドの釈迦により始められて
紀元前にシルクロードを経て日本に伝わっていることをお忘れなく

輪廻転生の考え方は
仏教の中の浄土教を通じて日本に入ってきました

そして「因果応報」の考え方と結びつけたのが
浄土教の源信(942年ー1017年)によるものでした

輪廻する世界は「穢土(えど)(けがれた世界)」である一方
極楽は清らかな「浄土」であるとして
「極楽浄土」の世界は死もなく永遠である
死別した愛する人とも再開できる場所と悟して
輪廻は苦であると描いた
それが六道、六道輪廻である
「畜生道(畜生界)修羅道(修羅界)地獄道(地獄界)餓鬼道(畜生界)人道(人間界)天道(天界)」
これを詳しく大衆に示した
そして
死後どの世界に行くかは因果応報によって決まる
加えて
その世界は六道輪廻と言われて
たとえ天界に行けたとしても輪廻を繰り返して次は地獄界かもしれない
つまり
輪廻転生、六道輪廻の世界からは抜け出すことができない

ただし六道輪廻から抜け出す方法は2つあるとしました
浄土へ行く方法です

1つは自らが悟るのだが、とても困難で
何度輪廻を繰り返してもほとんど実現不可能だと教えた

もう1つは
源信は「私が悟ったときに誰もが私にすがれば輪廻から脱出する力が持てますように」と
「阿弥陀仏」に帰依した
それが後の「極楽往生」の信仰へと広まったとされています

簡単に六道の世界を説明しますと
六道は俗に言う「あの世」ですね

須弥山(しゅみせん)は高さが80万㎞
その周りに4つの州と8つの海があるそうです
ちなみに州の大きさは1つ46,755平方メートルX2.5千兆倍???
全く想像がつかない広さです

地獄道(地獄界)
生きているときにかなり重い罪を犯した人が行く世界

餓鬼道(餓鬼界)
とても欲が強かった人ばかりの世界

畜生道(畜生界)
弱肉強食の生き方をしてきた人の世界

修羅道(修羅界)
人を許さず復讐することばかり考えている人の世界
(修羅王(阿修羅)がいますが阿修羅は天界にいたのですが
帝釈天と戦い負けて追放されたと言われています)

人道(人間界)
東の勝身州(しょうしんしゅう)西の牛貨州(ごかしゅう)
北の俱盧州(くるしゅう)南の贍部州(せんぶしゅう)
と東西南北に分かれていて
私たちの住む人間界は贍部州(せんぶしゅう)です

この贍部州の人間界が私達の住む世界です

そして、同じ人間界でも
私達の世界にだけ仏様が現れ、教えを聞くことができるようです。

天道(天界)
普段から良いことをしてきた人だけが行ける世界です

先ほども書きましたが
因果応報によって決まった六道の世界にいる限り
輪廻転生を繰り返します
つまり
煩悩や苦しみと闘うことになります

やはり六道輪廻からは抜け出したくなりますね

冥途(メイド)と三途

人は死ぬとこの世とあの世の世界の間の冥途に行くそうです
最初に到着する場所は「死出の山(人が死後に行く険しい山)」

この場所を7日間歩き続けると
生きていた時の業(行い)についての1回目の裁判を受けるそうです

次に三途(さんず)の川を渡るのですが
(三途=三通りと言う意味です)
生きている間の罪の重さで3通りの渡り方言い渡されるそうです

善人は橋
軽い罪を犯した人は浅瀬
重い罪を犯した人は濁流

時は室町時代になると
三途の川に渡し船が出来たそうです
その船賃は6文だったそうです←これ後で説明します(笑)

こうした裁判が7日間に1度、つまり49日間で7回行われて
最後の裁判が終わると
6つの鳥居が漠然と現れてそれを自分の意思で通り抜けます
通り抜けた先は裁判で決められた六道の世界で
鳥居を通り抜けないと本人にはどの世界か分からないそうです

自分の意思と書きましたが
生前の因果応報によって無意識にその鳥居を選ぶようになっているそうです

やはり因果応報によって死後の世界は決まるのか?
っというのが日本における因果応報と輪廻転生、六道輪廻の教えですね

これらの教えがなんとなくでも身近に感じるのは
日本で生まれ育った人は
教育も含めて祖父母、父母などから伝えられてきたことが要因にあると思います

現代でも行われる儀式

冥途の土産なんて今でも言いますよね
「冥途の土産に自分が好きなものが欲しい」とか
「冥途の土産に教えておく」とか
この場合死ぬ前となりますが
死後、冥途に行くのですから
葬儀の際に故人が冥途の世界に土産を渡すために
棺桶に副葬品を入れたりするとも考えられるね
(これは私の私見です(笑))
そして
三途の川を渡るのに船賃が6文というのが
故人に6文銭を持たせる由来でもあります
(現代では紙に銭6枚と書かれたものを入れたりします)

そして重要なのが
四十九日法要(七七忌日)ですね
命日から初七日に始まり七日毎、七回、四十九日目までお祈りするのです
ただ
近年は葬儀の日に初七日を済ませたり
四十九日の間は近親者がお祈りして
四十九日法要をして忌明けとなるのが一般的ですね

法要の方法などは宗派によって違うでしょうし
現代風と言うのもあるようですし、それについては触れませんが

肝心なのは
何故法要を行うようになったのか?
先ほどの
死後、冥途へ行き三途の川を渡った後
浄土へ行けるようにするためと言うのが根本的な目的です
つまり
浄土教が極楽浄土へ行けるようにするために行ってきた
「極楽往生」の信仰の一つです

輪廻転生は人それぞれの心の中で生まれ変わり続ける

輪廻転生は
苦しみの世界なのか?喜びのある世界なのか?どの世界へ行くのか?
死んでからも不安と迷い中をぐるぐると回る世界から解脱して
新たな形、姿として生まれ変わり極楽浄土へ行く為に
因果応報を信じて日々の生活を精進してまじめに正しく生きろ・・・

そういうことの教え、死生観だと思います

ただし

先ほども書きましたが
輪廻転生は宗教学者、哲学者、その他の学者も意見は分かれています
同じ仏教でも矛盾する点も多いのも事実です

あんまり深く考えすぎない方が良い

私なりに色々読んだり調べたりはしました
しかし
深堀すればするほどわからなくなります

キリスト教は
輪廻転生の考えはないけど天国はあるという考え方

ヒンドゥー教(前身はバラモン教)は
全ての命は輪廻転生を繰り返すという考え方

仏教は
インド哲学とバラモン教徒の思想の上に輪廻転生がある考え方が

ユダヤ教もその他宗教
宗教以外の思想を持つ民族も入れると
同じような考えだけど理屈が違うということです

ちょっとヤバイ新興宗教とかカルト団体も
輪廻転生を穿った解釈の元
信者たちを洗脳して過激な行為や犯罪に導く輩もいます

ですので
少し話をまとめると
あの世とこの世の境目の冥途だの三途の川だの
六道輪廻だの死後の世界だの・・・
つまり
輪廻転生は実際に生きているときは解らない
死ねばわかるのか?ということすら解らない
信じるとか信じないでなく
正直私は解りません(笑)

ただ
ふと前世は何だったんだろう?とか
前世が善人だったのか悪人だったのか?
今の自分の行いが来世に影響するのか?など
気になることはあります

ということで
死生観や輪廻転生を思想するのは悪くないことです
逆に
知らなさすぎるのも危険ですね
せめて因果応報の言葉の意味ぐらい
輪廻転生の言葉の意味ぐらいは知っておいた方が
日々の生活での行動に影響します
小さな子供がいる人なら
教育という概念からも
子供にやさしく教えられるようにしておいた方が良いですね

親から子、子から孫という言葉は重要な意味ですね

最後にまとめ

人は生まれた時から死ぬことが決まっています
いつ死ぬかわからないだけですが
その死に方までもが因果応報だとか自業自得だという人がいるし
たまに
私もそう思うときがあります
思うことは悪いことなのか?考えてしまいます
ただ
他人のことを想像で思うのは思うだけにして
口にすることはしない方が良いですね

それよりも
自分自身が他人から因果応報、自業自得などと
言われないような生き方をすることが今回の記事の結論です