大義名分

大義名分があるからとか
大義名分は何ですか?とか言うけれど
なんでも大義名分化してしまうとそれは言い訳にしか聞こえない
言い方変えると
都合が悪くて言い訳するとき大義名分にしてしまう
それが
良い場合と悪い場合があることを理解しよう
そう難しくはない
時々で理解して使い分けているのなら問題ないかも?

大義名分と言い訳とは言葉も違えば意味ももちろん違う

大義とは

〇 人の行動が重要な意味を持つ大切な道義

つまり
目的達成のための目標(指針)のプロセスを実行するための動機

大義と大儀を間違えないようにしましょう

大儀と人偏が付く漢字だと
何をするにも億劫なことの意味になります
「大儀な仕事」だとか
「買い物に行くのが大儀」だとかですね

今回こちらの「大儀」には触れません

大義名分となると
実は非常に難しい言葉になります

”人として、また臣民として守らなければならない本来の道義。
 行動の基準となる道理。
 また、何か事を起こすときの根拠
 出典=明鏡国語辞典より=”

ちょっと難しい表現ですね
儒教=孔子の教え信仰
※孔子、中国の思想家、哲学者。孔という姓の先生ですね

この儒教から由来する考え方というのが根源です
道義、節度であるとか態度、出処進退のあり方を指したものでした

益々難しいですw

臣を見ると少しわかります
臣は継体天皇(第26代天皇)以前の天皇から分かれた氏族に多く臣姓が使われています

あんまりこの辺りは興味のある人以外は覚えなくても良いと思います

かなり、思いっきりかみ砕くと
王様や王族のような人に仕えるには
それなりの身分であるとか素性がはっきりしていて
道義、道理、態度を守れる人でなければならない。
見たいな意味で
世界中で共有できる考え方と言っても良いですね

現代は
大義名分は
「過去、今、現在進行形の行動の正当な理由」として
大義名分が使われている方が多いです

「風俗店へ行くのも言い方を変えれば社会勉強という大義名分」
なんて茶番でも使ったりしますがねw

つまり
何でも正当な理由らしきものを大義名分にしてしまえば
気分的にも楽だし世間体も良いし後ろ指さされることはない・・・
はずという考え方が甘い人が言います

大義名分を理解できてもついつい言い訳に使うのはなぜか

人は何か始める時に目標を立てます
例えば
「健康維持、体力向上のためにジムに通う」
特に何も問題ない大義名分です
しかし
実はジムのインストラクターが美人で自分好み。
目的が健康維持でなく美人のインストラクターに会いに行くためになりましたねw
しかし
目的が美人インストラクターだとしても
しっかりとジムに会費を払い社会に貢献しているし(社会貢献も大義名分?)
ジムでプログラムをこなして
健康維持して体力向上しているのなら目標を実行しているわけで
大義名分も成立します
(間違っても嫁さんに美人インストラクターが目的とは言わない場合ですw)

自分だけが知っている言い訳、口実です
この場合はさほど罪はないと思います
それ以上に下心を持つと罪に発展しかねないから気を付けましょう

次の例として
よくある駄目な大義名分です
「議員が公費で海外視察と称しあり得ない飲食、キャバクラなどへ行く」
海外視察が大義名分ですがこれは犯罪ですね

このような事例は毎年市民団体などが厳しくチェックしています

その他には
仕事を教えるためというのが大義で
厳しく過酷な雑務をやらせるとかは
近年ではパワハラになりかねないので注意です

また、
会社を辞めたい時の理由として
「田舎に帰り実家の農家を継がなければならない」
こういう場合は大義名分が立つと言いますね
「成り立つ」ということです

こうして考えると
大義名分はしっかりとした正当な理由、根拠でなければなりません
この論議は世界中で常に行われていて
ルール作りをしっかりと整備していかねばなりませんね

つまり
大義名分が言い訳とか口実になっては駄目なんです
特に自分自身のルールのようなものを作るとき
例えば
ブログで内容ある記事をたくさん書くといって
テレビやビデオばかり見ている人はいませんか?
大義名分は「情報を多く知ること見ることだ」です
それはそれで間違ってはいませんが
記事を書く時間と情報収集の時間を間違っている人が多いのです
大義名分をよいことに
見たり聞いたりしている方へ時間を多く使っているときとかね
大義名分があるからなぜか安心してしまうのです

結局記事もろくにかけずに
挙句の果て面白い情報とかビデオがないから書けない・・・

こうなるとだんだんと泥沼にはまっていきます

全てが大義名分と称して
自分に言い訳をして生きる人生になります

非常に良くないですね

 

大義名分などという言葉で騙してはダメ

大義名分と言う四文字熟語をもう一度理解しましょう
最初に
「目的達成のための目標(指針)のプロセスを実行するための動機」
これが大義の意味だと言いました
そこに名分が付くわけですから
「正当な理由、根拠」をつけなくては
大義名分になりません

正しくて誰もが納得できるものでなければなりません

ここが難しいのですが
大義名分は物事を主張する時にも使います

大昔は敵討ちなどが当たり前の大義名分でしたが
今では犯罪者に対する罰則にも大義名分の意見が分かれます
死刑判決などが良い例ですね
「犯罪で殺されたのだから死刑は当たり前」
「死刑は人権問題で且つ死刑で罪を償うことはできない」
っといった具合に
どちらも正当な大義名分なのですが
ある事柄を主張する場合は大義名分論が必要になります

繊細な事案についての大義名分はともかく
自分自身の事に関しては
これが正しいと思いこませている自分がいます
その場合自分一人ですから議論する前に
結論を先に出そうとします
そのことが危険です
たとえ自分自身のことであって一人でも
正当な理由が必要な時は
時間をかけてじっくり、ゆっくり考えて悩みましょう

そういうときこそ
ネットなどで情報を集めて必ず納得のいく大義名分にしましょう

人生の経験値や今までの行いで変わってきますが
大義名分が納得できてそれを言い聞かせながら実行して
もし
それが間違いであると気づいたら
すぐに間違いを認めて修正することです

犯罪でない限り
自分自身の中のルールならば修正可能なはずです
しかも
何度でも修正できます
そして
成長していくと思います

最後にまとめ

大義名分はとても必要なことです

目的を達成するための重要なルールであり意義ですね
ただ
あまりにもおおざっぱな大義名分にしてしまうと
それは
理解、解釈の仕方で如何様にも取り繕うことができます
大義名分が
国際社会でも政治の世界でも法律でも論議になることはあります

それだけ重要な位置づけだと理解しましょう

難しく大義名分を考えましたが
自分自身のモチベーションを上げるために有効に
言い訳にならない大義名分を心に言い聞かせることが大事なようです