偽善者ではない

偽善者になりたくないし偽善者と言われたくないですね。
しかし「善行」をしているかと言われても、特に何もない。
偽善者になりたくないから「善行」をするというのは最も【偽善者になる可能性あり】です。
ただ【悪意のある偽善行為】でなければ、最初は【偽善者】であってもよいと思う。

偽善行為と善行は紙一重【なぜ偽善者と言われるのか?】

よくある例から書きます

有名人、著名人が善行を公に行うと批判されやすくなります
それは
売名行為ととられることが一番だと思います
例えば
You Tuberが子供のために「ぬいぐるみ」をひたすら作り
その「ぬいぐるみ」を貧困の国、地域の子供達へ送り
少しでも元気になってもらいたい企画を行ったとします
勿論、その動画から得た収益もすべて寄付する企画です
それを見た人は
良い企画で「僕も見ることで善意の手助けになる」という人と
「しょせん、売名行為で人気をとるための企画だ」という人に分かれます

他にも
弱い立場の人の味方になり強い人間を思いっきり叩いて
「自分はどうなっても良い・・・断固抗議する!」などと
SNSやYou Tubeで拡散する人もいます
こちらもYou Tubeによる収益はすべて弱い立場の人へ寄付です
同じように
同感する人と批判する人に分かれます

この時
誰が得して誰が損して
誰が善いことをして誰が善いことをしてもらったのでしょう?

理論上は善意ですから
誰も損をしないし得もしないはずです
そして
ぬいぐるみを送った人、弱いものの味方になった人、寄付した人は善い人です
ぬいぐるみをもらった人、味方になってくれた人、寄付をもらった人は
善いことをしてもらった人ですね

つまり
どんなに批判されても売名行為だと言われても善いことをした人は
「別に・・・?」批判されようが売名行為だと言われようが
実際に喜んでもらえる人がいるからそれでよい。となります

おそらく、痛くもかゆくもない・・・
逆に批判してくれて拡散してくれてありがとう!となります

敢えて反論するなら
「僕は時間とお金を使い貧困の人、弱い立場の人に実際に寄付もした」
「批判する人は何をしましたか?批判だけなら誰でもできる!」
という人もいますが、あまり反論しない人が多いですね

損得は関係ないと言いましたが
批判して罵声を浴びせている人が一番損をしています
まあ、批判したり酷評することでスカッとした気持ちになるんでしょうけど
それこそ
売名行為の片棒を担いだとも言えます
(拡散して炎上させることが売名行為の目的ならですが)

もう少し言うと
有名人や著名人が善意を行うなら
「そっと黙って名前も出さずに行った方が良い」とは思います

名前を公にするから偽善者で売名行為だと誤解される部分はあります
ただ
その人自身がブランドだから寄付金を募ることができるし
使えるお金もあるから善行ができる事でもあります

ある意味
【偽善者と善行は紙一重】です

【偽善者になってしまった】場合と【偽善行為は違うもの】である

偽善行為とは
書いて字の如く「偽って善を行うこと」です
善くないことを善いことだと騙す。善いことだと見せかける。
善い人だと思わせる。などの意味が込められています。

悪意を持って騙すことは詐欺、偽証で犯罪です
事実、善行と偽り金品をだまし取る詐欺は今も昔もなくなりません

嫌われるのが嫌だから
出来るだけ人付き合いもして、ベンチャラも言って
それなりに楽しく人間関係を保っている程度のことは
偽善行為、偽善者とは言い難いですね(笑)

普通に当たり前のことかもしれません

会社の慈善事業の一環で被災地へボランティアへ行くとかありますね
本心は行きたくないけれど
あからさまに嫌々ボランティアをする人もいないと思います
心の中では「なんで俺がこんなことしなきゃなんないんだ!」と思っていても「まあ、善いことしたら、なんか善いことが自分にもあるかもしれない・・・」
不謹慎ではあるけど、そういう人も悪いことをしていないからOKです
ただ
進んで善いことを行うのでなく「仕方なく・・・」善行
これは
偽善者といえば偽善者です
問題はこの善行に悪意があるか無いかですね

最初は気が進まないボランティアでも
現地へ行きボランティアを行った後に「ありがとう!」と言ってもらえた
それだけで「気分が良くなった」「気持ちよかった」
善い行いをして得られたものは大きな経験と心を美しくしてくれますね

繰り返しているうちに「偽善者」ではなくなります

ボランティアのことだけを書きましたが
善行はボランティアだけでなく普段の生活でも行えます

電車で席を譲る、横断歩道でお年寄りを手助けする、道を教えるetc
何気ない普段の生活で普通にある事を気持ちよくするだけです

ボランティアやお金を寄付することだけでなく
【気持ちの善行】が最も重要だと思います

【善行】するのに動機は必要なのか?

なんで善いことをしようと思うのか?

普段の生活で他人のため誰かのため貧しい人のため・・・
具体的に何かをしようと行動する人には意味があります

例えば
震災で自らが被災して親兄弟を亡くした人とかは
数年後にどこかで震災があり被害があれば
ボランティアで自分も助けてもらったから今度は自分が助けてあげたい

これは明確な動機で美しい善意だと思います

動機だけを考えると
〇 自分も辛い目にあったから
〇 会社の慈善事業の一環だから
〇 友人に誘われたから
〇 人間として当たり前のことだから
などなど
ボランティアも含めて善行にも動機は何かありますね

思うのは、どのような動機でも善行ですから決して悪いことではないんです

開き直ったような考え方、動機で
善いことをすれば必ず自分自身が幸せになれる・・・
ちょっと宗教的な考えでもありますが
これも動機の1つで、あたかも自分のため見たいではありますが
結果、悪いことではありません

輪廻転生とか自業自得というやつです
過去の記事で書いていますので参照してください

【大金持ちの善行】に深い意味はない?

世界中には想像もつかないような大金持ちはいます

その人たちは悠々自適に何一つ不自由することなく暮らしている?
それは、その本人でしかわからないですね
お金があっても幸せと感じていないかもしれません
まあ、想像する立場から見れば「いい生活で幸せなんだろう!」とは思います

そのような大金持ち(富豪)は多くの善行をしている人が多いと聞きます
お金の使い道に困り税金対策と言われることもありますが
根本的に
行きつくところは人間としてスピリッツを大事にするようになるようです
「見返りなど求める必要がない」
すでにお金も地位も名誉もあるわけですから何もいらない
本気で
世界のため地球のため宇宙のため、数百年後の人類のため・・・
そう思えるようになるそうです
(そう思わない大富豪もいるようですがね)

普通の人は、そんな大それた考えにならなくても
最初は「善いことをしたら自分に善いことが返ってくるだろう」的な事で
一日一善とも言いますから行動をしましょう

傍観することも時には大事

先ほども書きましたが
自ら進んで善行をしなければならないことはありません
動機は様々で
最初は「仕方ない・・・」「偽善者でない偽善」でも良いと思います
それでも行動して結果として善いことをしているわけですからね

それよりも
批判や酷評をしている人にならないことです

批判するより傍観している方がまだマシです
それは
経済的な理由であるとか身体の調子とかの理由で行動に移せない人もいます

そういう人は第三者的に見るだけにしましょう

見て何を思うか考えるかは自由ですが批評、酷評することで
何もできない自分を正当化しようとするのが駄目なことです

自分自信が今「金がない、苦しい、しんどい・・・」という人が
偽善者だの売名行為だの言う人が多いんです

自分自身を情けなく思っていたり悔しい部分がどこかにあるからだと思います

人生は良い時もあり悪い時もあります
また生まれてきた環境も違うし災難に遭う人もいれば遭わない人もいます
そのことを自分自身に言い聞かせて
傍観するという選択肢は間違っていません

最後にまとめ

普段の生活で当たり前のことを当たり前に行動すると
それはほとんどが【善行】です
敢えて善いことをしたと言う必要もないことです
小さな事しかできないのが一般人です
しかし
小さなことの積み重ねと集まりが【大】になりますね
ただ
【善行】したときは自分自身をちょっとだけ自分で褒めましょう