信じる者は救われる

ことわざにもある「信じるものは救われる」

今現代でも多くの人が使う言葉ですが
何でもかんでも信じたら駄目ですね

信じても良いものと信じては駄目なものを整理すると
「信じるものは救われる」の本質が見えてきます

信じるか信じないかはあなた次第ですが・・・

信じた結果に答えはあります

信じた結果とは
「信じたことによって自分自身に何が起きたか」

つまり
「信じた私が馬鹿だった」となるのか
「信じて本当に良かった」となるのか

ズバリこれだけす

例えば
メッチャ小さなことですが
寿司屋の大将が
「今日のハマチは最高に旨い、騙されたと思って食べてみな!」
お客は
「大将の言うことを信じて食べて良かった、メッチャ美味しい、幸せ」

近所の奥さんが
「明日のデパートの夏物バーゲンは絶対お得という噂を聞いたよ」
私は
「早起きして楽しみにして行ったけど、しょぼいものばかりで
何か信じてメッチャ損した信じるんじゃなかった」

普段まあまあありそうな、あまり罪深くない出来事ですね
しかし重要なのは
「信じて良かった、幸せを感じた」
「信じて損した、信じるんじゃなかった」

この部分が全てです

信じるものは何か?を整理してみましょう

毎日のように人は信じるか?信じないか?の選択をしています

先ほどの「寿司屋の例」「バーゲンの例」もそうですが
デイトレーダーなどは日々数千万、数億円、損した得したなど言っています
社会情勢、世界情勢を見て根拠のあるものを信用しているとは思いますが
その信用に絶対はないですね
最近ではAIが自動で作業してくれるものもあるようですが
最終的には自分自身で決めて決定します

ここでの信用する材料は
科学的根拠のあるものや、今まで培ってきたスキルだと思います
長年の勘なんて言う人もいますが(笑)

ある程度の根拠があり信用できるものですね

医学もそうですね
長年の研究や科学によって実証されてきたもので判断します
薬もそうです、この病気にはこの薬が効果があると実証されているから
医師も薬を信用して処方します
患者も医師が処方してくれたものだから信用します
(後でも書きますが医師に成れたプロセスが信用する要因でもある)

次に
根拠が乏しく迷信めいたことはどうでしょう?

日本では
「北枕で寝てはいけない」
「夜に口笛を吹くとヘビがくる」
「黒猫が横切ると縁起が悪い」
などなど
書き出したらキリがないぐらいあります
そして恐ろしいのは
昔から言われている迷信を覚えているということです
それは
迷信を聞かされて育ち
子供の頃は信じていたということですね

日本に限らず世界中で迷信めいた言い伝え的なものはあります
日本ではそれが「ことわざ」であったり
そのもののフレーズの意味でなく別にちゃんとした意味があるものもあります
例えば
「雷が鳴ったら鬼にへそを盗られるから、おへそを隠せ」は
「雷が鳴るのは夕立の後とかが多く気温も下がるから
お腹を冷やさないようにしましょう」と意味があります

最近では「都市伝説」にも実は根拠があるとかないとか???

少しまとめます

ある程度根拠があるものは

人を信じることが根本にあります

信じる人が言った言葉を信じる
信じる人が作ったものだから買う

背景には
会社とか人間性の実績、培ってきた研究の結果、事実
医師も人です
医師に成るためには医師免許が必要ですね
そのために勉強して努力してきたということです
つまり
医師の人間性はともかく
「医師が処方してくれた薬だから信じる」となります
もちろん
素晴らしい人格の持ち主の医師も多いです
しかし
「あの医師は苦手だとかちょっと人間的に嫌だ」というのもあります
その医師がいる病院に行かなければ良いのですが
その医師しかいない地域だったら
その医師に処方してもらった薬を飲む以外は考えにくいですね
その時
不思議なことですが
「薬があまり効き目がない」という現象が起きてしまいます

それが次に書く事に繋がります※1

先ほどは「ある程度根拠のあるものだから信じる」でしたね

では
あまり根拠のないものは?

目に見えないものが多いです
神様 仏様 迷信 都市伝説など

日本には神様は大勢います(笑)

神社にいる神様
その中でも分かれますね
学問、子宝、恋愛、山、海、稲、商売・・・など
身近なところでは
トイレ、台所、お風呂、箸も茶碗も・・・
何でも神様になるのが日本人なのです(笑)
(海外ではこの考えは解らないそうです)

仏様も
日本人は宗派に関係なく寺社仏閣に行って手を合わせて祈ります

先ほども書きました
迷信と言われるものも
子供のころから言い聞かされて育ってきています

それらは
あんまり根拠がないと言えばそうなんですが
実は
それなりの科学的根拠もあります

2次的な因果関係ですね

つまり
とにかくお寺に行ったら賽銭を入れて手を合わせて祈ると
心が少し晴れた気がしますよね
とにかく祈るだけでも心の変化が起きます
とか
受験生が絶対合格したいから必死で勉強するのですが
親が神社に行って受験のお守りを買ってきて応援してくれたとします
なんとなく更に頑張ろうという今まで以上の力が出ます

特に仏様や神様を信用しているわけではないけれど
その時、その場面が来たときは形だけでも信じようと思うだけでも
脳波や意識に変化が現れます

神様仏様は神聖であり見えない力があるんじゃないか?
「要因」
気持ちの変化が出る
「結果」
です

先ほどトレノ神様なんて書きましたが
歌の歌詞にもあるように
「トイレには女神様(べっぴんさん)がいるから毎日キレイにしたら女神様になれる」
この場合は
べっぴんさんになりたいからトイレの神様がいることを信用する
そのためには毎日キレイにしないと駄目だということです
まさに「トイレの神様を信じて掃除する」が「要因」で
「べっぴんさんになれる」が「結果」ですね

※1
先ほどの「信用できない医師から処方された薬があまり効き目がない」
たぶん
全く効き目がないわけではない方が多いです
ただ
嫌いな医師だから信用していないから効かないような気がするだけです
(すべてがそうとは言い切れませんが)
逆に
とても信用できる医師から
薬よりも「食事を3食摂り軽く運動して、8時間睡眠をとりましょう」
そういわれて実行したら病状が改善された患者は
「やはり信用できる医師だから良くなった」と思います
しかし
「食事を3食摂り軽く運動して、8時間睡眠をとりましょう」は
だれが言っても当たり前のことで
実行するかしないかの問題ですね
「信用する医師から言われたから実行できた」ということです

信用するということは
かなりの割合で自己の想像とか思い込みが強い時にそれが結果として現れます

想像の部分と現実に起きたことが一致したときに
「信じるものは救われる」が成り立ちます
2次的な因果関係です

信じても救われないもの

確実に1つあります

信じた結果
それは詐欺だった、騙された時です

騙したヤツが悪いのに
騙されたやつが悪いみたいな言い方をされるときがありすが
人を疑ってかかるような人でも
「まさか自分が騙されるとは・・・」
というのが多いのは事実です

騙す人間は騙し方を勉強しているし
人を信用させるのが上手い人です

悪いこと以外の良い仕事をすれば
十分結果を残せるようなスキルがある人が
詐欺師だったりしますからね

信じても救われないのは
確実に自分に不利益が生じた時です
金銭的な不利益もあるし
精神的な不利益もあります

マインドコントロールは特に怖いですね
信用させてしまえば
騙されていることすら気づかない
テレビドラマだけではなく
今も昔も実話として多くある話です

それを防ぐには何も信用しない?

というのは生活していくうえで常套手段だとは言えません
性格もありますが
やはり初対面の人にいきなり心を許さないとか
じっくりと考えてから返事をするとか
情報収集をしっかりするとかでしょうか
インターネットの時代ですから
SNS上でのトラブルも注意しましょう

更に言うと
長年付き合いもありとてもいい奴だと思っていても
時代と共に環境も心境も変わり
善い人が善くない人にだってなります

人は環境の変化で心理も変化してしまいます

強い意思と信念を確かめて
負けないようにしましょう

自分が信じるのは勝手だが、他人を巻き込んでは駄目

科学的根拠があろうがなかろうが
自分が信じて良かったと思うのなら問題ないです

「信じてそれに伴った行動をして結果が良い」
誰にも迷惑はかけません

ただ注意することは
自分が良かったこと信じたことが他人にも良いかというと
決してそうではありません

新興宗教などはそうですよね
「勧誘することで徳積みが出来る」
大概の団体はそのように言いますが
信仰は自由ですから
自分が良いと思ったら信じてやるだけです
押しつけは良くないと私は思います

信じて良かったと思える結果の一つに「安心できる」があります

お金の問題と健康の問題はセットでつきまとうことが多いですね

借金で生活費に困ると精神的な不安から病気にもなる場合があります

何かを信じてその不安を解消しようとする行動が重要です
すぐに結果が出なくても
信じるものがあるだけで不安の軽減
少しの安心感が出てきます

安心感は重要ですよ

別に無理して何かを信じろというのでなく
日々精進してコツコツ行動することが
何よりの
「信じるものは救われる」だと思います

全ては自分自身の心の中にあると思います

最後にまとめ

信じるというのは
その行為自体で行動を促し不安の軽減、安心感を生むなど
心理的な効果があります

信じる行為は人生のプロセスの一環です

これから先
信じて裏切られることもあるかもしれません
その時
自分自身をちゃんと信用して頑張れるかどうかです