【月落不離天(つき落ちて天を離れず)】自分なりに解釈してみました。腑に落ちます

月落不離天※画像はcanvaマジック生成によるもの

月落不離天(つき落ちて天を離れず)
仏様は、ここに居ます、あります、というような意味です。
普段の生活に当てはめて考えて見ましょう

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「月落不離天」にセットで「水流元入海」

月は西の空に沈んで見えなくなるが、翌日にはまた姿を現す。
月が満ち欠けするのは、見る方向が違うだけで
月はいつも同じ形をしている
太陽はドンと構えて不動で
周りが動いているから昇ったり沈んだりする。
そしてセットの禅語で
水流元入海(水流れて、もと海にいる)に繋がります。
川の水は、あちこち流れるも行きつくところは大海である。
これらは「明快」である。と言っています。

「月落不離天」(つき落ちて天を離れず)

この言葉は、月が落ちても天空から離れないという
自然の本質的な調和と不変性を表現する深遠な言葉です。

意味の深層

「月落不離天」は
自然の根本的な法則と変化の本質を象徴しています。

月は地平線に沈んでも
実際には天空から完全に分離されることはありません。
これは単なる物理的な現象ではなく
むしろ存在の根本的な連続性を表現しています。

哲学的解釈

〇 月は変化しても、その本質的な存在は変わらない
〇 外見上の変化は、根本的な本質には影響しない
〇 自然の循環と不変性への深い洞察を示している

「水流元入海」(水流れて、もと海にいる)

この言葉は、水の循環と究極的な帰属を描写する
自然の根本的な原理を表現しています。

意味の深層

水は川や河を流れ、最終的には常に海に戻ります。
これは単なる物理的な現象ではなく
存在の根本的な循環性を象徴しています。

哲学的解釈

〇 すべての水の流れは、最終的に海に帰還する
〇 一見異なるように見える流れも、究極的には同一の起源に戻る
〇 個別性と普遍性の共存を示唆している
これらの言葉は、単なる詩的表現を超えて
自然、存在、変化に対する深い洞察を提供しています。
月と水のイメージを通じて
私たちは存在の根本的な性質は変化しながらも
本質は変わらないという事を理解できるのです。

「月落不離天」には「真理」この2文字に注目することが重要です

「真理」

これは哲学でもあり、キリスト教にもあり仏語にもある
とても奥深い2文字です。

あまり難しく考えずに
本当の事、間違いでない道理、正しい知識と内容
と言った感じで捉えましょう。

その「真理」が「月落不離天」へとつながります

「月落不離天」「水流元入海」の意味を自分の心に当てはめる

月や太陽、川の水、海、当たり前に見えるものは何一つ変わりない。
それと同じように
「真理」は眼には見えないが、すぐそばにある。
その場所が一番近いのは自分の心です。
心とは「潜在意識」の事です。

その
心の「真理」は揺らいではならない。
同じか日々向上する事が必要である。
いつも言うように、心との会話、意識して潜在意識に落とし込む。
そして
「素直」で「新鮮」であることも大事です。
太陽を見て眩しいが、気持ち良い!

月を見て侘しくもなるが、明日また頑張ろう!
川の流れに人生を思うが、行きつくところは大海だ!
それが
自然と思えるといつもフレッシュできます。
つまり
脳は、いつでも受け入れ体制が出来ていて、吸収できる状態が良い。
たくさんの情報を受け入れて、それを意識して
噛み砕いて整理して潜在意識に落とし込む
そうすれば自分の心が
一番そばにある揺らぐことのない本当の「真理」「本当の心」になる

人は邪な道についつい行ってしまうことがあります。
時には、それも良い勉強になることもあるが
それは
少し遠回りしても「本当の心」が黙っていません
必ず呼び戻すようになっています。

それは「真理」と違うことになるからです。

まとめ

月落不離天(月落ちて天を離れず)
難しい言葉ですが、意味はいたって単純です。
ただ、その中の奥深い意味
「素直」で「新鮮」であることが、とても大事です。
そして
常に正しい事、当たり前の行動をしましょう!

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