行雲流水(こううんりゅうすい)。
これは修行僧と師の関係の言葉でもあります
雲水=修行僧と言う意味です
行雲流水から取ったものです
雲は漂い水は一か所に留まることはない
行雲流水は何の執着も無く
何の捉われもない生き方を示した言葉ですね
「行雲流水」は決意と決断が半端ない意味なのです
以前の記事で
仏教では、執着を捨てることが重要だとされています。
これは、執着が苦しみの原因であると考えられているからです。
執着とは、ある物事に深く思いをかけてとらわれること
つまり、強くこだわることを指します。
これにより、私たちは苦しみます。
この、執着さえも捨てると言うことは
家族も家も地位も名誉も全てを持たない
何ものにもこだわらずに生きると言うことです
これは普段生活している人々とは違い
仏法に従って悟りを得たものだけが出来る生き方でもあります
修行僧は
その悟りを開くために行脚する
師を求めるわけだが、師は高僧だけではない
行脚している時に出会った人、見たもの、手に取ったものなど
全てが師であると言っています
雲は漂い水は一か所に留まることはない
行雲流水は何の執着も無く
何の捉われもない生き方を示した言葉で
「自由奔放な生き方のようではあるが実はとても深い言葉」
何の捉われもない生き方を示した言葉で
「自由奔放な生き方のようではあるが実はとても深い言葉」
一切衆生も含め地位も名誉も全て持たずに
全ての事にこだわらずに生きていくという
「仏法に従って悟りを得たものだけが出来る生き方」とも言えます
全ての事にこだわらずに生きていくという
「仏法に従って悟りを得たものだけが出来る生き方」とも言えます
行雲流水の「人生にこだわりを持たずに生きる」と言うことは
自然の世界は自然の法則に従って無意識に動いている
現代、これからの未来の課題でもある地球温暖化にしても
自然は素直に無意識に反応して動いているだけのことである
人間の知恵と知識は進化していくのが当然でありこれからも進化し続ける
その中で
自然と人間界の発展の共存がとても重要なこと
つまり
自然が無意識に動くことで人間に「今やらなくてはならないことを教えている」
自然界の忠告とも感じることに人間は素直に進化しながら進んでいくべきだ
つまり
「個人のフィルターによって自然界の法則を変化させてはならない」
「偏見とも言える理屈だけのこだわりは持つべきでない」
その中で
自然と人間界の発展の共存がとても重要なこと
つまり
自然が無意識に動くことで人間に「今やらなくてはならないことを教えている」
自然界の忠告とも感じることに人間は素直に進化しながら進んでいくべきだ
つまり
「個人のフィルターによって自然界の法則を変化させてはならない」
「偏見とも言える理屈だけのこだわりは持つべきでない」
例えば
音楽家が作曲依頼を受けた時
クライアントの意図、詩の意味などを自分なりに理解して
その中で「コード進行だとかリズム」を作り上げていく
つまり
「自分の知識とスキルを最大限に活かして、こだわりを持って創作する」
こういった「こだわり」と行雲流水の「こだわらずに生きる」とは違う
クライアントの意図、詩の意味などを自分なりに理解して
その中で「コード進行だとかリズム」を作り上げていく
つまり
「自分の知識とスキルを最大限に活かして、こだわりを持って創作する」
こういった「こだわり」と行雲流水の「こだわらずに生きる」とは違う
もう少し言うと
自分のフィルターである知識やスキルのこだわりは一先ず置いといて
クライアントが望む作品を「自然の姿のまま見る」「俯瞰してみる」など
それから自分の「こだわりの部分で表現していく」ことだと思います
自分のフィルターである知識やスキルのこだわりは一先ず置いといて
クライアントが望む作品を「自然の姿のまま見る」「俯瞰してみる」など
それから自分の「こだわりの部分で表現していく」ことだと思います
まとめ
「行雲流水」って素敵な響きで好きなことばです。
ただ、意味をちゃんと理解すると
一切衆生も含め地位も名誉も全て持たずに
全ての事にこだわらずに生きていくという
「仏法に従って悟りを得たものだけが出来る生き方」
をするには、かなりの覚悟が必要です。
全てやることは無理でも
常に意識して出来る事からやるのが良いと思います。
これを変えることはできないのだから「妙なことにこだわらずに生きていく」
と言う感じで使えるのではないでしょうか