適当な犬

適当な人間と言われると
あんまり気持ちの良いものではありません
むしろ
ディスられた気分になり反論したくなりますよね
ならば適度なことをやっているのに
適度な人間とは言われません
適当と適度は実はとても類似している言葉です

適当と適度について今更ですが考えて見ましょう

適当と適度はどのくらい類似しているのか?違うのか?

適当とは

1 ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。
  ふさわしいこと。また、そのさま。
「工場の建設に適当な土地」「この仕事に適当する人材」

2 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を適当に加える」「一日の適当な仕事量」

3 やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。
「客を適当にあしらう」「適当な返事でごまかす」

コトバンク(適当)より引用

適度とは

程度がほどよいこと。また、そのさま。「適度な(の)運動」「適度な(の)湿り気」

コトバンク(適度)より引用

適当は普段何気に使い分けているとは思います

どちらかと言うと
あまり良い意味で使っているときの方が少ないですね
つまり
「いいかげん」
ただ
この「いいかげん」も「いい加減」ですから
厳密にいうと良い加減(具合)となるわけですが
普段使っている「いいかげん」
「仕事が雑」だとか、「言っている事があやふやだ」
そんな場合の意味で使っているときですね

ではなぜ適当が悪い意味で使われるのか?

適=テキ、かなうと読みますが「たまたま」とも読むのです
意味はふさわしい、当てはまる、かなうですが
この「たまたま」は適(てき)さかと同じ意味です
適さかと言う言葉も使ったことないですがねw

厳密には適適と書きます
ただ、言語を研究している人ぐらいしかわからないと思います
故辞書には書いてあると思います

普通は
たまたま(偶々)と書き、偶然とか思いがけないこと
適適も意味は同じです

そのことから
偶々(適適)当たる=適当とも考えられます
当=くじに当たる、宝くじに当たる
そういう意味で
偶々当たる=まぐれ=適当(あまりよくない意味で使われる)
と言うのが一つと

「いいかげん」から来てる説

時代劇などでお殿様が「よきにはからえ」と言ったりしますよね
「よきにはからえ」=「良きに計らえ」だと思います
さほど重要なことでないから
「思うように好きなようにしろ」と言う意味です
つまり
「絶対にこうでなければならない」でなく
「適切でありながら問題のない程度に適当にしろ」
「良い加減にしておけ」
そのあたりから適当と言う言葉が
「なんかサボってばかりいる適当な人」
なのに結果は出している・・・みたいになっていった
と、あくまでも諸説ある中の解釈です

適当人間なんて聞いたような気もしますが
メッチャダメダメではないけど
さほど「いいかげん」でもないけど
サボりながらやりすぎず、休みすぎず適当に・・・
っとまあ、
中間的な言葉だと思います

それに近いのが「適度」なんですね

適には
適切や適確、適正などもありますね

適切、適確、適正となると
かなり緊張した言葉になります

間違いは許されないとか
確実にやり遂げなければならないとか
絶対に正しいと思うとか

重要案件の時に使う言葉と言っても良いと思いますね

それに比べて
適当と適度は、「程よく、ほんわかと、上手くやって」みたいな感じです

そのなかで
適当だけが悪い意味で使われる言葉となっていったようです

適当にやって良いこと駄目なこと

これも筆者の考えですが

企画とか計画とか準備とかしなければならない時
(ざっくりな表現ですがw)
上司、嫁、友人に相談したら
「適当にやっておいて!」と言われたときは
絶対に適当にやっては駄目です
自分なりに真剣に一生懸命考えてやることです

あくまでも経験上からですが
適当にやっておいてと言われたから
何も考えず相手の配慮もせずやれば
必ず
「なにこれ?」と言われます
嫌な顔されます
そして
「お前に任せるんじゃなかった!」とか言われますw
これには先に書いた
「よきにはからえ」論が成り立ちますね
つまり
適当に任せられるには信頼関係があります
任せられない人に「適当にやっておいて」とは言いません

それなりの答えと結果が期待できるから任せられるということですね

言葉尻だけを捉えれば
適当なんですが
もしかしたら悪い意味の適当でないと思いましょう

 

〇 ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。

こちらの適当だと考えるべきですもし上司が悪い意味と言うかあんまり重要でない案件を
適当にやっておいてと言ったかもしれませんが
こういう場合は
まともなことをちゃんとしておきましょう
相手が期待してなかったら効果は逆に良いものになります
つまり
「凄いやればできるんだ!」と言うことです

人生は適当なぐらいがちょうどよい

その場の雰囲気や会話の流れで適当の意味は変わるということです
だから
あんまり常にピリピリと気を張っていると疲れます

仕事や授業などから離れて完全なプライベートな時は
適当人間ぐらいの方が良いかも知れません

なかなか完全にプライベートな時間はないかも知れませんが
毎日は無理でも週に数時間はプライベートな時間を作りましょう

まあ、自分だけの自由な時間と考えても良いですね
その時は適当にテレビを見たり読書したり飲んだり食べたりしましょう
とはいっても性格は人それぞれですから
キチットした性格の人は自分のプライベートな時間でも
きちんと整理整頓、時間厳守、やるべきとはやる、みたいな人はいます
何を隠そう私もそうなんですが
私の場合は一人身なので毎日プライベートな時間は好きなだけ作れます
しかし
毎日だらだらとプライベートな時間にしてしまうと
だんだんと堕落した人生になりかねませんね

お勤めされている人や時間にある程度縛られている人は
プライベートな時間はとても貴重に感じますから
上手に適当に使うかもしれませんね

逆に私のような一人身でフリーランスの人は
仕事をするときクライアントとの時間プライベートの時間を
しっかりと分けておく必要があります
敢えてプライベートの時間はだらだらと適当に過ごすようにします
その方が集中しなければならないときに能力を発揮できます

わざと自分で自分自身にギャップを作るのです
そのギャップが大きいほど人生うまくいくと思います

 

適当ってホント良い言葉で好きです

「いいかげんで適当な人生」目指しましょう

 

最後にまとめ

今回も言葉の不思議見たいな感じになりました
あんまり難しく考えすぎずに楽しく言葉は使うのが一番です
ただ
使い方を間違えると人を傷つけ事件も起こります
言葉は書くのと言うのとでも違います
この前も言いましたがインフルエンサーの人が言うのと
普通の人が言うのとでも違います

発言を聞く人も読む人も考えないといけないのは
文章には文脈があり、文脈を読まずに単語だけ捉えると
全く違った意味になりますね
最近はそのあたりがかなり問題になる時代ですからある意味怖いです
適当に書いたつもりが言ったつもりが
大変なことになる時もありますから気をつけましょう