覚悟

何かを始める時、やめる時、決める時、
覚悟とか決断と言う言葉は使いますね

ランチで牛丼にするかカツ丼にするかってときは
あんまり覚悟とか決断は使わないね

となると
人生でも重要な場面で覚悟と決断は使われるようだ
その重要性を考えると
覚悟と決断はそうたやすく使ってはいけないかもしれませんよ

覚悟と決断の意味をしっかりと理解しておこう

覚悟=覚(さとる)悟(さとる)
仏教用語では「さとる」を二文字連なる漢字です
真理をさとる、心理に目覚めるという意味で使われる
自らが覚り、他を悟と言うとわかりやすいかも知れません

一般的な使い方は
「明日から初出勤だし覚悟しておきなさいよ」
父親から言われたことがあるかもしれませんが
この時の覚悟は
心の準備をして気持ちを引き締めなさいって意味ですね
心構えです

「愛犬が病気で危篤」
医師から「覚悟しておいてください」
この場合も心構えですが
愛犬が亡くなることのあきらめと言うか残念な気持ち
もう治らないんだ、帰ってこないんだ・・・
そういう意味の覚悟です

単純に時代劇などで
刀を構えて「覚悟しろ」というセリフは
これからお前を切り殺すから構えろよと言う意味でしょうね
本当に切り殺す場合は「覚悟しろ」と言う前に
切りつけていると思いますが・・・
「覚悟しろ」と言った場合はたいてい
逆にやり返されるパターンです

決断=決める、断つ
これは仏教用語ではありませんが
物事決めるには今からやろうとすること以外はすべて断つ
それが決断になりますね
「明日から禁煙を決断」と言うと
禁煙をするためにタバコを吸うという行為を断つという意味ですから
そのためにタバコそのもの、ライター灰皿も断つ、捨てるということです
強い意気込みは感じられます

言葉だけの決断なら誰にでも言えますが
決断と言う言葉は
絶対且つ不可逆的でなければならないという覚悟がいります
そういうと
じゃあ決断は使わずに「決めた」ぐらいにしておこう・・・
となってしましますが
決めるという言葉は自分自身との約束でも使いますが
誰かとルールを決めるとか
契約を決める、交わすという時でも使いますから
決して軽い言葉ではありません
「決断」はどちらかと言うと
自分自身の心の中のものと闘うときに使う場合が多いです
先ほどの禁煙もそうですし
例えば
「walkingは毎日5㎞以上は必ず行うことを決断」とか
強く自分自身に言い聞かせる時に使います
この場合も5㎞以下を断つ、ない、ダメと言うことです

言うだけでなく
紙に書いて貼っておいたりしますよね
あれは視覚からも意思を曲げない、負けないという
強い決断の表れであると思います

ビジネスなどでは決断力と言う言葉も使われます
「決める力」でなく「決断力」です
これは決定させる力の度合いであるとかスピードとか判断とか
総合的な要素が含まれるからです
決めるより更に上の力が決断力です
それだけ決断と言う言葉は重い言葉です

先ほどさりげなく
絶対且つ不可逆的・・・覚悟がいる・・・
そんな文章を書きましたが
物事を決断するときに覚悟するというフレーズは
セットみたいになっていますよね
つまり
映画やドラマや小説でも
この覚悟と決断のセットは多用されています

このセットが悪いわけではありません

学校を卒業して
大手企業に就職する人もいれば
ずっとやってきた音楽で飯を食うんだと決断する人もいます
最近ではいきなりベンチャー企業を起こす人もいます
人生の重要な場面ですから覚悟して決断したのだと思います
映画なら
地球滅亡の危機が迫っているときは
それを救うための隊員の心境などでは
覚悟とか決断とかよく使われます

今現代の会話の中で覚悟と決断が
とても奥深く重い意味合いで使われていないということが問題です

人生で覚悟と決断はそんなに多く使う言葉ではないと思う

先ほども書いた通り
今現代の会話の中でそれなりに強いメッセージとして
覚悟と決断が使われていますが
もう一度この言葉の意味を知ってから使うと
そう軽々しく使える言葉ではありませんね

もう少し言うと
普段の会話で「覚悟して決断した」という割には
「あれは止めて今は違うことをやっている」ってよくありますよね
もしかしたら今に始まったことではないかもしれませんが
「音楽で飯を食うんだ」
その覚悟と決断をしたはずなのに
たった3年もすれば諦めているとかね
年数の問題でないかもしれませんが
確かに覚悟して決断したときは
心に煮えたぎる強い思いがあったのかもしれませんが
本当に
覚悟して決断したのならたった3年であきらめることはないはずです

「あの時覚悟して決断したから3年たった今ようやく道筋ができてきた」
これならわかりますよね
つまり

ポイント
覚悟して決断するということは
「これしかない」
「方法はこれだけ」
「駄目だったらとかはない」
死に物狂いでその決断したことに取り組むということです

言葉の綾みたいなことですが
この記事を読んで少しだけでも理解していただければ
提案があります

普段の会話の時の覚悟と決断と
自分自身の心に言う覚悟と決断は分けましょう

普段の会話などで使う分には別に適当に
覚悟だの決断だの使えば良いと思います

自分自身が人生を本当に賭けるときだけ
後戻りは絶対できない場面の時に心に刻む言葉です
おそらく
覚悟と決断と言う言葉は人生で1度か2度ぐらいだと思います
覚悟と決断をセットで使うときは人生で1度か
もしかしたらないかも知れません
とてつもない重要な時だけセットで使いましょう
と言うのが私の提案です

もう少し付け加えますと
覚悟と決断と言う言葉が重要で、ある意味重い言葉だと思います
そんな重くて重要な言葉を普段何か決める時に
軽々に使わないってことです
先ほども言いましたが使い分けをしているのならいいと思います

しかし
人生でまあまあ重要な時って結構あるんですよね

その時に
ここで覚悟だの決断だのずっしりと自分自身にストレスをかけてしまうと
本当に後戻りできなくなりそれが原因で病気になったりします
そういう世の中でもあるのです
ですから特に
人生で自分自身にプレッシャーをかける時は1度か2度くらいのもんです
普段使いの覚悟と決断はちょっとゆる~いプレッシャーにしておきましょう
勿論
覚悟と決断と言った限りはそれ相応の事はしないと駄目ですよ
対外的なものであれば責任はありますから
軽率にやり過ごすと取り返しのつかないことになりますから
その点は十分に理解してください

最後にまとめ

今回も言葉の重要性について書きましたが
何気なく使っている言葉でも意味が分かれば使い方も変わります
そして
なにより人生はストレスをかけすぎず生きたいものです
しかし
時には人生を賭けて覚悟して決断しなければならないこともあります
その時に力を十分発揮できるためにも
ニュートラルな時間も必要なのです

またこのニュートラルについても書きたいと思います