自分の居場所

昔からあることだけど孤独とか孤立と言う言葉
それらに近い意味合いで「自分の居場所がない」があります
生きていくうえで「自分の居場所が見つけられない」とか
一つ屋根の下で暮らしているのに「自分の居場所はトイレだけ」とか
学校でもいじめられて「自分の居場所が追いやられる」とか
今の時代は社会問題でもあります

自分の居場所なんてどうでも良いことに気づく

私も昔昔・・・
小学生の時も中学生の時も
いじめられていたわけではありませんが
いじめよりも過酷な無視されている
自分から話をしようとしても受け入れられない
常に弱い者の仲間に追いやられてる

つまり
これがいじめなのかもしれませんが(笑)
でも
友人がいなかったわけではありません
それなりに話をする奴も数人はいました

そうなんです
学校に行っているときや友人と話をしているときは
さほど気にすることもなく
いわゆる
強い連中、ずる賢い連中、
そして弱い自分たちの仲間みたいな感じでした

しかし
家に帰ってからですね
両親は共働きで一生懸命働いてくれていました
夕飯も遅い時間ではありましたが
家族揃って食べていた時の方が多かったと思います

昔、居間にテレビは一台、携帯もスマホもゲームもない時代です
一人になる部屋はありましたがそれが駄目だったのかもしれません
一人になると
とても寂しく明日の学校の事も考えたくなく
一人で深夜ラジオを聞いていた記憶があります

何故一人の時に自分の居場所に気がつくのか?

そんな一人になる時間が長くなってくると
自分は学校でどんな存在なんだろうとか?
友達に嫌われていないか?
親にどう思われているんだろうとか?
結局は自分の事ばかり考えていました

友達と話をしたりしているときは
何をして遊ぶとか勉強の事を話したりとかするのに

夕食の時家族でいるのに
さっさと食べてなんか一人で居たいと思う自分もいたのかもしれません

常に自分の事だけを考える子供だったのかもしれないですね

後から気づきますが
自分で言うのもなんですが
自分は情にもろく、愛情深く、とても優しい人・・・
そういう勘違いから自分中心でいたいということで
自分の事ばかり考えるように育ったのかもしれません
友人といる時は友人の事を考えるんです
親といる時も悪い子供でないんです

しかし
一人でいると自分の事ばかり考えている
もう少し言うと
自分が嫌われないようにするにはどうするか?
自分が良い子供でいるにはどうするか?
これに気づいたのは
高校生になってからです

自分の居場所を探そうとしないこと

高校生になり吹奏楽部に入りました
男子校で吹奏楽部の歴史は長くて全国的にも有名高でした
3年生の時部長に抜擢されて
高校生時代は部活ばかりの生活でしたが
充実もしていて無事に卒業することができたのです

吹奏楽は一人では奏でられません
そして大所帯です、チームプレイです
部活ですから集団生活の時間も長いです
それが功を奏して充実できたのだと思います

部活での演奏会やコンクールで目標ができて
キツイけれど好きなことに時間を使っているうちは
夜の一人の時間も音楽の事や部活の事ばかり考えます
部長になったときは
部員のことも考えなければなりません

つまり
自分の事などあんまり考えている暇はありませんし
自分がどう思われているかより
コンクールでどう勝てるか?
それしか考えていませんでしたね

自分の居場所とかも考えている余裕はない時です

自分の居場所を主張しないこと

高校時代は無事というか充実していたと思います
しかし
何故か好きな音楽では飯は食えないと自分で勝手に決めてしまい
別の人生を歩むことにしました
決して貧しい家庭ではありませんでしたが
裕福ではなかったですね
共働きで両親が頑張ってくれたから今があります

なんとなく料理が好きで調理師専門学校へ行き
料理人になり社会に溶け込んだつもりでしたが
今度は
若いのにすぐに店長になったりして
有頂天と言う墓穴の罠にはまっていきました
そうです
自分は店長なんだから好きなようにやって今よりも大きくなるんだ!
高校生の時は学生で部長でしたが
バイトもせず小遣いとか部活で使うお金は
親が出していてくれていたんです

社会人になれば自分でお金は稼ぎます
少しではありましたがまだ実家から通っていたので
家にもお金を入れて
あとは自分のためだけに使っていました
飲食業界が悪いわけではありませんが
どうしても夜の仕事でお酒にも縁があります
夜な夜な
自分の居場所を主張するために飲み歩いていましたね

結局は
仕事場も転々として酒におぼれていたのかもしれません
つまり
自分を主張しようとしたがためにと言うか
自分を主張する前にやらなければならないことがもっとあったのです

自分の居場所は常に自分の中にある

俺の人生は高校生の時がピークだったのか(笑)
なんて思うときもありました

20代、30代、40代はまさに波乱万丈
そういう人は多いですからとくには多く書きませんが
私も転職が多く怪我も病気も多かったかもしれません
多くの仕事もしたけど多くの入院生活なんてのもしました

結婚、子供にも恵まれたのですがドラマのように離婚もしました

そして気がついたら
また自分の居場所問題に陥っていました
先ほど書いた通り
分かっているんです
「自分の居場所はどこだ」なんて考えるのは
考える時間を自分が作り出しているから
そして自分自身を美化しようとしているからなんです

全てを受け入れてじっくりと整理すれば
自分の居場所は常に自分自身の中にあるのです

自分の居場所に気づいたら笑いましょう

今回この記事で書きたいことは
自分の居場所は常に自分の中にあるということです

私のヒストリーをざっくりと例に書きましたが
おそらくメンタル的に悩んでおられる方も多いと思います
人生のヒストリーは様々です
いじめやハラスメントは深刻な社会問題ですね

昔のいじめは今ほどではなかったというのは嘘です

暴力的で恐喝なんてのもざらでしたね
今ほど陰湿でないと言われるのは
陰湿にするデバイスがなかったからです
パソコンもスマホもない時代です
今の方がいじめがメディアに取り上げられて
やり口も情報量も多いからで
それに対しての法律や処置が多くなってきたからです

そんな時代ですから
自分の居場所も厳しくなってきています
これも
昔と違うのは二極化が益々大きくなります
ズバリ貧富の差です
中間層がじり貧で高齢化社会の仲間になり
少子化がこの貧富の差を広げます

若くして頭がよい人は稼げる時代です
大手企業に就職して終身雇用で人生を終える人もいるでしょうが
若い人も挑戦する人としない人に分かれますね

ある意味
自分の居場所なんてどうでもよい時代になっています
極端ですが
たった一人で引きこもっていても
パソコンさえあれば仕事できる時代でもあります

その時
もし自分が一人だけで部屋で仕事しているのに気づいたら
鏡をみて笑えばいいだけです(笑)
考えて見れば
会社に行かずとも稼げるんです
好きな時間とまではいかないにしても
パソコンとかスマホでクライアントと連絡する時はして
自由に好きな場所で仕事できます
あくまでも一例ですが
実際にフリースタイルで仕事している人は増え続けています

とは言っても
人間同士の付き合いであるとか交友は大事ですね

他人と自分の居場所を同じにしないこと

この記事は私(還暦前)の年齢よりも若い人に読んでほしい
今、子育て真っ最中の人などに読んでほしいのです
人は失敗しながら歩んでいきます
少々の失敗など気にせず諦めずに進めと言うのは誰もが言います
そこで
一番のよりどころであり応援者であるのは子供の親だと思いますね

厳しくもあり優しくもしなければならないと思いますし
反抗期や思春期を迎えている子供の親は苦労も絶えません
親は無くても子は育つというのもありますが
今、子供の側にいるのが親ならば
その親が一番大事だということです

つまり
自分の居場所は自分の中にあるんだと気づく前は
今、居場所がどこかでなく
今、誰と一緒にいるかがとても重要です

先ほど一人でも仕事ができると書きました

しかし
仕事の先には誰かがいます
仕事仲間であるのかクライアントであるかはわかりませんが
共有するものがある人がいます
つまり
何かを一緒に考えたり悩んだり喜んだり悲しんだりする人が重要です
ある企画が終了すれば次の企画が生まれ
また新たな共有者が出来るかもしれません
そういった中で
特別な光が見つかるかもしれないですね
この特別というのはパートナーであるかもしれないし
一生の自分自身にとって絶対に必要な人かもしれません
仮にもし
その重要な人が寿命で亡くなっても
自分自身の心の中にい続けてくれます
ここは重要ポイントです

ポイント
一生、心の中にい続けてくれる人は親かも知れませんし
兄、弟、姉、妹かもしれないしパートナーかも知れません
要は
しっかりと心の中に光があれば
絶対に自分の居場所に迷うことはありません
そして
他人と自分の居場所は違うということに気がつきます

最後にまとめ

今回は私のホンの少しのしょうもないヒストリーも混ぜましたが
人の数だけ物語はあります
生まれてきたタイミング
生まれたときの環境
生まれてからの環境
出会う人など
それぞれには意味もあると思います
それらを全て受け止めて自分は自分、他人は他人
割り切る部分と共有する部分が整理できていれば
これからの自分の居場所が明確になると思います