無情の花

無常、無情はいろいろな場面で使われています
日常会話でも使っていることと思いますが
漢字がちがうから勿論意味も違います
無常と無情のそれぞれの意味を少し考えて見ましょう
ちなみに
噫無情(ああむじょう)は
ユゴーの小説「レ-ミゼラブル」の黒岩涙香よる日本語訳名で
湯川れい子が書いた「あゝ無情は
アン・ルイス歌、1986年リリースですので
違うものですからね

無常と無情の漢字が持つ意味から探っていきましょう

とは言ってもそのままの意味ですからさほど難しくありません

どちらも仏教用語の意味はあります

無常は

”1 《(梵)anityaの訳》仏語。
この世の中の一切のものは常に生滅流転 (しょうめつるてん) して、
永遠不変のものはないということ。
特に、人生のはかないこと。また、そのさま。
「無常な人の世」「諸行無常」⇔常住。
 2 人の死。
「―の来たる事は、水火の攻むるよりも速やかに」〈徒然・五九〉
goo事象(国語)より出典

「この世の中のすべてのものは移り変わり続ける」
という意味になります

有名な平家物語の最初の一文に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
これは聞いたことがある人は多いと思います

簡単に訳しますと

諸行→この世のすべて
無常→移り変わり続ける

形あるものですから
現代的に言うならパソコンやテレビ電化製品もそうですし
車や船、飛行機もそうですね
故障したから廃棄する場合
まだ使えるけど新たに買い替えて古いものはリサイクル、やがて廃棄
不意な出来事により壊れたりしてそのまま廃棄
etc
様々な場面が考えられますが
草や木、花も芽が出て蕾、花、種そしてその繰り返し
移り変わりです
人間も含めて動物全ても同じことですね
もう少し掘り下げると
今現在の形、命はなくなるのでなく
移り変わり続けるということでしょうか
そう考えると
「はかない」「はかなさ」というものが強くなります
人が病気で亡くなったときなど
「寿命とは言え無常だなあ~」という使い方になるでしょう
この場合命はなくなっても残された生きている人の中で生きている
生まれ変わり生き続けるし
つかの間の悲しみは消えても
苦しみのようなはかなさは残り続けるということにもなります

まさに「無常」です

無情は

”1 いつくしむ心がないこと。思いやりのないこと。また、そのさま。
 「無情な(の)雨」「無情に突き放す」
 2 仏語。精神や感情などの心の働きのないこと。また、そのもの。
 草木・瓦石・国土など。非情。「無情の木石」「無情成仏」→有情(うじょう)
 出典コトバンク

無情も仏教用語ではありますが
読んで字の如く
「情けが無い」という意味です
「あの人はの言葉はいつも無情だ」とかですね
情けや思いやりなどが一切無いということです
薄情となると
まだ少しは情けがあるということかもしれませんねw

情けが無い感情は対人に使われますが
助詞を使って物事の情景をさらに強い意味として使う場合もあります
「無情な雨」「無情にも雨が降ってきた」「無情にも勝敗を決める」etc
勿論前後の文脈でどのような状況かは変わりますが
日々の会話で何気なく使われている「むじょう」は
「無情」の方が多いと思います

無常と無情の意味が分かっても苦しみからは逃れられない?

形あるものは壊れ、リサイクルされて、移り変わり続ける
という家電製品であったり自分で創ったお皿であったり
人や生き物の命でない場合でもショックですよね

それが
寿命でありお役目ご苦労さまというときでも
長年使い続けてきたのもには愛着芯があります
そして余分な出費という部分でもある意味苦しいですw
事業経営者なら
もしかしたら「消耗品」で切り替えが早い人もいるかもしれませんw
仏の道に仕える人でも
ショックや愛着芯はあります
いくら諸行無常是生滅法、生滅流転、時節到来と分かっていてもです
それは感情があり無情ではないからですよね

そうなると無常と無情は矛盾しているようにも思えてしまいます

つまり
無常と無情は全く別物であるということです
特に命に係わるときに使う無常は
自分自身や人の心を安らげようとして
はかないけれど無常なんだと言い聞かせるのかもしれません
無常な気持ちでいる時にあえて無情にふるまって
「自分は強いんだ」と言い聞かせるのかもしれません

しかし
心の中の苦しみは永遠に残るものなのです
人物や動物の形は亡くなっても
代わりになる位牌とかお墓とかに移り変わります

そして
それを見るたびに心の中の思い出と同時に苦しみも蘇ります

 

ポイント
もしかしたら
あえて苦しみを蘇らせることで
自分自身への戒めであるとか信念とか言うものを
作り上げていくのかもしれません

最後にまとめ

私は言葉の意味を考えるのが好きというか
その意味を深く知ることで新たな発見があると思います
今回は無常と無情からいろいろ考えさせられました
本来なら無常と無情が理解できれば
心の苦しみも安らぐはずとは思うのですが
苦しみは安らげようとすると逆に付きまといます
つまり苦しみからは逃れられないのです
無常であり無情なことを言うかもしれませんが
苦しみとじっくりと共存する事が重要だと感じます