天才児

 

子供のころ
勉強ができるやつ
スポーツ万能のやつ
「あいつ天才や!」
そういう表現を良くしていました
昔の表現だと懐かしむことなく
今でも自分も使うし周りからも聞きます

この場合の天才は
「人より優れている、凄い才能の持ち主」的な
アバウトな使い方だと思います

 

それは会話の一言として問題ないのですが
実際に天才はもって生まれた特別な才能があるのか?
そのあたりを考えたいと思います

天才と言われる人の定義はあるのか?

先ず天才の定義は

”生まれつき備わっている極めて優れた才能。
また、その才能の持ち主。
明鏡国語辞典より”

一般的に
”天性の才能
人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物であり
きわめて独自性の業績を示した人物の評価
賛辞的な形容詞にも使われます
歴史的にも社会に大きな影響を残した人物を指す
一部Wikipediaより引用=”

その分野は
芸術、文学、スポーツに多く見られるが
数学者、哲学者、物理学者などにも多い気もします

天才といえばアインシュタインが浮かんでくる人も多いでしょう

そのアインシュタインの
特殊相対性理論や一般相対性理論を小学生で理解して
中学生の時は高校の数学
高校生の時には大学の数学を理解できている子供などは
天才児とか言われますよね

高い知能指数(IQ:IntelligenceQuotient)の持ち主から見た天才

アインシュタイン

最近テレビでも見たが
IQ188の天才と題してだったかは覚えていないが
TV出演初ということでなんとなく見ていた

アインシュタインで160~190前後でないかと言われている
レオナルド・ダ・ヴィンチもそうですよね

知能指数は専門機関や教育現場でもテストなど行っていますが
ネットなどでは無料の簡単なクイズ形式で知ることができます
まあ、それは正式なものではないし
お試しで目安ということですね
一度ぐらいは試しても面白いと思います
ちなみに筆者は極々普通でしたw

そのIQの高い人達は天才であるかというと
IQが高いから天才だとは言えないそうです

IQが高い著名人などは
「優れた才能の持ち主が努力して初めて天才だ!」
という人もいますし
「優れた才能を生かして大きく進化させる人が天才だ!」
という人もいます
圧倒的に多い考え方は
「才能を生かして人一倍の努力をした人が天才である」
そういう意見ですね
エジソンも
I%の閃き99%の努力だと言っていますよね

アインシュタインやダ・ヴィンチはIQも高かったと言われていますが
天才と呼ばれていたのには果てしない努力があったのかもしれません

天才と馬鹿は紙一重なんて言われているのはどういうことか?

これはあくまでも
言葉のあや的な言い回しで
特に諺でもなければ誰かが言った有名な言葉ではないと思います

敢えて補足するなら
秀才は努力の積み重ねで努力のプロセスを論理的に把握しています
天才はあくまでも閃きで結果が出せたということで
理論が成り立たないと言っても良いのかもしれません
理論がわからないから馬鹿とも言えます
しかしわからなくても結果が出せる
そのあたりから紙一重になったのだと思います

そしてもう1つ誤解してはならないのが
天才と言われる人の多くに
精神障害に苦しむ人も多いということです
コミュニュケーション障害であったり
自閉性障害であったり
発達障害であったりの
サヴァン症候群と言われるものです

全ての人がそうではありませんが
何らかの障害で苦しんでいるというのも事実のようです
その病気と言葉のあやの天才と馬鹿は紙一重とは
全く違ったものだということは理解しておきましょう

天才だからと言って人生が良いとは限らない

天才と言われる人には孤独で鬱な人が多いのも事実です

まあ、普通の人は
世間話でどうでも良い未来の想像とか
所謂ストレス発散と言われるような仕事とは無関係の事で
人とコミュニュケーションをとったり
一緒に笑い、一緒に泣いて一緒に考えて悩んだりします
天才はこれができない人が多いそうです

全てではないでしょうが
自分がやりたいことだけに集中して
それ以外の事はすべてがどうでも良いことなのです

つまり
コミュニュケーションをとる作業が苦手な人が多いのです
例えば
集中して自分がやりたいことをやっているとき
誰かが「コーヒーでも飲みましょう」というと
普通は「そうだね一服しますか」となるが

天才は
「いや要らない、必要ない」と言ったりします
それは
決して悪気はないのですが
実際に必要ないし、今やりたいことをやっているときに
逆に話しかけてほしくないという人が多いそうです

よく言われるのが
承認欲求が不要
評価など要らない
コミュニュケーション不足
自由でいたい
自己防衛力が強い
孤独でありたい
など

天才はこれらとの闘いであると言われています

あくまでもすべての天才がそういうことではないのですが
周りの事などどうでも良い
仕事上の利益などどうでも良い
他人の評価など気にしない
自由に自分がやりたいことだけをやる
などの
一般社会からはとても受け入れられにくい状況です

しかし
天才は見たものがすべて数値化されて
普通の人が一生懸命勉強して計算しなくても
答えを閃きで出せる人とかです

そうなると
天才はそれが当たり前のことなのに
周りは
凄い天才がいると騒ぎだし
そっとしておかなくなります

周りが騒げば騒ぐほどストレスを感じ
一人になろうとして孤独になるそうです
一人が好きで孤独が居心地がよく
やりたいことが自由にできる環境だからです
ある一つの事柄に特化している天才は
自由に好きなことをできる環境でなければ
その力は発揮できないのかもしれません

つまり
周りの温かい目が必要だということです
サヴァン症候群でありながら天才だと言われる人は
かなり苦しい思いをされているようです

これは
その人の特性であり個性なのですが
一歩間違えると
変な人となってしまうのです

天才と孤独という言葉の名言が多いのもわかります

〇 孤独は人を賢者にする
〇 最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる
〇 独りでいる力をつけよ、孤独の利点を失うな
〇 君が独りの時、本当に独りの時に、誰もできなかったことを成し遂げろ
〇 一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり。
など

まだまだ名言と言われるものは多くあります

努力して天才と呼ばれる人から名言は生まれる

先ほども述べましたが
優れた才能を努力して伸ばして
今までなしえなかった結果を出せる天才です

芸術、文学、スポーツ、数学者、哲学者、物理学者
ありとあらゆる分野に存在していますが
ある才能に気づいて、もしくは誰かが気づいて
それを努力して伸ばせた人達です
その過程で
天才と言われる人の作品に出会い
研究して解明してそれを理解して更に天才に磨きがかかります

哲学書などは難しくて正直頭がパニックになりますが
天才は理解して自分のものにしようとします
ですから
才能があり努力して結果を出した人が発した言葉は
名言となるのです
何にもしていない人がいくら良いことを言っても名言にはならないでしょう

つまり
今でも使われる○○の天才と言われる人は
やはり必死で努力しているということです

 

ポイント
ただ
もしかしたら
目的も違えば目標も違うかもしれませんね
オリンピックで金メダルを取るのが目標の人は多いと思うのですが
天才はオリンピックの金メダルは通過点で
そのあとどうするか?という明確な目的があるのかもしれません
少し考え方とか視点が違っているのが天才なのかもしれません
だから
名言も生まれるのだろうと思います

最後にまとめ

自分の身の回りを見たときに天才と思える人がいるかもしれませんが
何に対して天才なのか?
生まれつきの才能なのか?
もし
生活していくうえで困っていることがあるとしたら何か?
特に問題なく普通の人たちと溶け込めている人なのか?
これは天才だからといことでなく
人としてお互いが理解していこうとしなければならないことでもあります
うわべだけを見て
良いことも悪いことも本人のすべてを知らないのに
拡散するなどはもってのほかですよね
やはり
人権という言葉の重みをしっかりと考えて
今からの社会を見ていかなければならないと思いますね