嵐山

全国ネットはもちろん
世界的なニュース番組や情報番組でも有名な嵐山である
観光名所で有名ではあるが嵐山という山でもあるのは事実
現在は周辺の有名どころも含めての嵐山といった方がよい
今回、気になっていることは
嵐山は
京都人、関西圏の人の発音と標準語と言われる発音で違う
いわゆる方言となるのだろうけれど
京都弁、方言も含めての嵐山の部分を考えてみたい

嵐山のただしい発音、イントネーションは大事だと思う

先ずこれを聞いていただきたい

葵

標準語っぽいイントネーションで嵐山


茜

京都人のイントネーションで嵐山

琴葉葵と茜に協力してもらった

同じ嵐山ではあるが
イントネーションが明らかに違う

筆者は京都育ちでもあるから
茜のイントネーションがあたり前に聞こえて
葵のイントネーションには違和感がある

先ず京都弁はあくまでも関西弁の中の京都弁でである
関西も広いし大阪弁、奈良弁、滋賀弁・・・
つまり県によって○○弁となり
もうっといえば同じ県内でも東西南北ではかなり違うところもある

関東弁の中に東京弁や千葉弁埼玉弁等があるということだな

東京は県外からの人が多く東京弁と言われるものは
江戸っ子と言われる生粋の東京生まれの人が話す言葉なのかもしれない
江戸弁といった方がよいのかもしれない

日本全国(今回外国の事は置いとく)方言があり
その中に○○弁があり県内での○○言葉的な区分けであると思う

これは昔から言われているが東京の言葉は標準語ではない

標準語とはいったい何だろう?
そこが問題であるね

”標準語(ひょうじゅんご)とは、
公共の言説において人々の集団(民族、共同体、国家、組織など)によって用いられる言語変種である。
あるいは、言語変種は文法や辞書における記述(英語版)のために整理され
こういった参考文献において記号化される際に起こる標準化の過程を経ることによって標準となる。
典型的には、商業や政治の中心で話されている方言が標準化される言語変種となる。”
そして
”日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、
主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標準語を整備しようという試みが推進された
(うち最も代表的で革新的だったのは小学校における国語教科書である)。
これに文壇の言文一致運動が大きな影響を与えて、「標準語」と呼ばれる言語の基礎が築かれた。
なお、「標準語」という用語は岡倉由三郎によるStandard Languageの日本語訳である。
官公庁の公式文書などには、普通文が主に用いられる。

太平洋戦争以後は国家的営為としての標準語政策は行われなくなり、
各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
そのような中、「共通語」という用語が登場し、
NHKなど一部では「標準語」が「共通語」に言い換えられるようになった。

国語学の世界では、公式・法的には標準語は存在しない。
しかしながら、「標準語」という用語は現在もしばしば使用され、
その場合「標準語」は東京の口語(東京方言や首都圏方言)を指すことが多い。
厳密には標準語と東京の口語そのものは異なる言葉であるが、
中央(すなわち現代日本では東京)の言葉を標準語とすることは歴史的に暗黙の了解となっている。

日本語の標準語・共通語の特徴は書記言語に偏重していることで、
口頭言語については発音・アクセントなどの面で固定した規範が完全に成立しているとは言いがたい。
例えば、「電車」のアクセントは従来は「ンシャ」が正しいとされてきたが、
近年では「デンシャ」(太字は高く発音)も広がりつつあり、
メディアや駅の案内放送でも2通りのアクセントが混在している。
日本語における書記言語偏重は、標準語形成期に音声メディアが未熟であったこと、
漢文などの筆記言語が伝統的に重んじられ江戸時代から識字率も高かったこと、
臨場感ある新聞報道や小説を書くための文章をつくるという目的意識が
言文一致運動を支えていたことなどがその理由として挙げられる。

近代以前は平安時代の京都の貴族語に基づく文語体が標準的な書記言語として広く通用し、
口頭言語についても、江戸言葉が成熟する江戸時代後期までは京言葉が中央語であり、
京都を中心に新語が日本各地に伝播していったとされる(方言周圏論やアホ・バカ分布図も参照)。
京都方言がかつて中央語だった名残は現代共通語にも残っており、
例として、古風な文体で「わしは知っとるのじゃ」のような近世上方語風の表現が使われること(老人語参照)、
「残っており」「寒うございます」「ありません」などの文語・敬語表現、
「怖い」「しあさって」「梅雨(つゆ)」などの語彙が挙げられる。”
ウィキペディアより引用

難しく書いてあるが
つまりは標準語の定義とか決まりはあやふやで
毎年見直されていると言っても良い

ただ偏りがなく公共の電波などで流す言葉
(アナウンサーなどが学ぶ言葉)は
母音子音が的確で訛りがなく聞き取りやすい発音と共に
イントネーション、アクセントも
聞き取りやすいものが必要とされるのかもしれない

年配の東北の人と年配の九州の人が話をすると
かなり聞き取れないような気もするし
会話自体が成り立つのかも疑問であるw

勿論近年は特別な語彙も多くあるが
少々訛っていてもわからない日本語の方が少ない気もする

標準語がどういうものか分かったところで話を戻していきたい

嵐山はやはり京都弁の発音で全国ネットで流すべきだと思う

保津川下り

これはどういうことかというと

最初に聞いてもらった

嵐山のイントネーションは
京都弁だから嵐山の情緒、詫び錆が出るのではないだろうか

京都の人が全国ネットのアナウンサーが発音する嵐山には
たぶんほとんどの人が違和感を感じていると思う気はする

つまり
アナウンサーは発音や語彙を勉強するのは得意なはずである
地方の特に国宝であるとか世界遺産であるとかは
単語そのものの価値をも含めても良いのではないだろうか

嵐山を京都弁で嵐山ということぐらいは
全国ネットのアナウンサーならそう難しいことではないはず

NHKの大河ドラマでは関西弁や東北弁も役者さんは上手く使いこなしている
テレビ用の関西弁とかあるようだが
そのあたりは事実はどうなのかはわからない

ただ
最近は結構それなりに
関西弁の中の大阪弁とか京言葉も上手に使っている人は多い

やはりリアルな方が親近感があって好いはずである

アナウンサーは標準語で原稿を読むのが仕事であるが
もしかしたら違和感を持ちながら原稿を読んでいるアナウンサーもいるのかもしれない

仕事や旅行も含めて
地方へ行くことが多い人などは
キット京都弁の嵐山の方が違和感なく聞き取れるのではないだろうか

嵐山以外にも多々あるしすべてとは言わないが

全国津々浦々の有名どころの名詞のイントネーションは
その地方のイントネーションにするべきだと思う

関西人のちょっと残念なアクセントのこだわり

関西人すべてではないけれど
あるある的な話をすると
関西人は関東弁を嫌っているのではないが
なんとなく関東弁にイライラしている人が多いのは事実

それはお洒落な言葉とかカッコつけた言葉に対する
僻みとか嫉妬のようなものなのかもしれない
だから
東京へ行ってもわざと関西弁を直すことなく
堂々と関西弁で話すことへの歪んだ意地のようなものを感じる

これを聞いてもらいたい

葵

標準語っぽいイントネーションでスカイツリー


茜

関西人のイントネーションでスカイツリー

スカイツリーだが
これは東京にあるのだから関東の言葉で良いと思う
標準語で聴いても特に違和感はない
しかし
関西人はわざとイントネーションを関西弁にしたがる傾向にあるw

そのあたりはちょっといかがなものなのかとは思うな

最後にまとめ

地方に行って方言を聞くのはとても良いものだ
喋っている人に言わせると
生まれ育った時からの言葉であるし普通だと言うだろう

日本は狭いと言っても色んな方言や訛りイントネーションがある

近年のスラングは別として
伝統ともいえる
方言や訛りイントネーションはお互いが尊重しあうべきであると思う

言葉は進化しています
日本語は言語の中でも難しい方ですね
その難しい日本語も
英語や専門用語も入ってきてもっと難しくなってきています

だからこそ
これだけは変えれないというような地方の言葉もある筈です
その部分は筆者としては意識して尊重することにより
日本全国で当たり前の表現としていきたいと願う次第であります