みょうじゅたなごころにあり

禅語は難しいと思いがちですが今の現代社会に役立ちます

今回は明珠在掌の意味を考えて見たいと思います

明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)ですね

普段あまり使わないし聞き慣れないかもしれませんが
禅語そのものの生活における意味が納得できると思います

少しでも力になれば幸いです

自分自身の宝物を仕舞い込んでいる人が多いですね

人それぞれ環境は違います

先ず生まれてきた環境ですがこれは変えれません

人生のスタートの環境が違うことは否めません

それは
貧しい環境であったり裕福な環境であったりでも違います

ただ
どんな環境であれ幸せかそうでないかはその人しかわからない部分です

華やかでとても裕福そうに見えるが本当に幸せと感じているか?
その逆も当然あります

子供の才能にも関係があります
持って生まれた才能も人それぞれ違います
親とか大人が子供の才能に気づくか気づかないかでも
その後の人生は変わってきます

親の願望や無理やりスターにしようと思ってもそれは無理かもしれませんw

例えば
もしかしたら、内の子は物心ついた時から音感がとても良い気がする
「音楽のセンス、才能があるのかも知れない」と思ったとします

でも
ピアノなどを習わせたり買ったりすることは出来ない

親としては悩みますよね
まあ、実際に高い月謝を払って習い事が出来る子供は一部です

家族でスケートに行った時
子供がビックリするほどスケートが上手かったとしても
スケートを習わせるにはかなりのお金が要ります

あくまでも遊びとか趣味でとどまらせて
とにかく健康に育ち普通の学歴で普通の現実的な仕事に落ち着いてくれれば良い

そう思う親の方が多いですしそれが当たり前かも知れません

ただ
環境は作ってあげることは大事です

贅沢な環境とかお金をかけることでは無く
子供がのびのびと持っている力を発揮できるようにすることです

音楽センスがあるかも知れないなら
子供が好きな音楽を存分に聴かせるとか
おもちゃのピアノで遊ばせておくとかなら出来そうです

ある演歌歌手の実話ですが
その人は父も母も親戚もほぼ全員音楽家
昔はカラオケなど無く「流し」が夜の酒場などでは主流でした

学校から帰ってきたら大人と一緒にギターを弾くことが遊びだったそうです
学生のころにはギターも上手くなり大人に連れられて流しをしていたそうです

周りの大人たちも遊び心でギターや歌を教えていたから
とても楽しい環境であり覚えるのも早かったそうです

それが才能の開花を始めたとも言えますね

特別な環境かも知れないがそれだけ環境は大事です

しかし
この演歌歌手が音楽が嫌いで
学校から帰ってきても他の遊びばかりしていたら
今の演歌歌手にはなっていなかったでしょうね

いくら立派な環境であっても高額の月謝を払っても
本人の才能と気持ちが一致していかないと一流にはなりません

最低限の環境を作ってあとは本人次第ですね

貧しい生活で
親子共に苦労した人でも立派に成功している人はたくさんいます

つまり
環境は大事であるが
努力もせずに環境だけのせいにするのは駄目だと言うことです

今は辛くてしんどいかも知れないが
変えようとする努力は必要なのです

明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)

人は皆、尊い宝物をもっている

明珠=仏様の心

それは
自分自身の魂であり心の宝

宝がどのようなものかは本人しかわからない
早く気付いて磨きをかければその宝は明るい輝きを放つ

一番の磨かねばならないものは自分自身の心である
それを放っておいて外ばかり見て、もがき苦しんでいることが多い

そのような意味です

ここで重要なのは【1点だけを輝かせればよい】

最後にまとめ

その自分自身の心の中の大切なものを見つけることも重要ですね

ゆっくり時間を作って
今の自分の最も大切な心の中のものを見つけましょう
そして
それを日々磨けばそれは自分の個性であったり能力になります

過去でなく今からの環境を作り出していくのです