さとればこうおなし

禅の言葉に「悟れば好悪なし(さとればこうおなし)」があります
直訳は「悟った人間には、好き嫌いといった感情はない」
と言う意味です。

人間関係において、あの人とは相性が合わない、考え方も違う
だから「嫌いだ!」という感情を持つのでなく
「あの人は違う考えで、見方も違うから、僕とは捉え方が違うんだ。
僕とは違った視点で見ることができて勉強になった」

そのように考えましょうということです

しかし、ナカナカ感情を出さずにはいられないのが人間ですよね

人間関係の好き嫌いは、誰もがもつ感情の話です【悟れば好悪なし】

その時の対処方法は、嫌いな人間と話をしない、会うことをしない、とか
もっと言えば、嫌いな人間とは縁を切れば良いだけです

でも、その相手が身内だったり、兄弟だったりすることが多いですね

身内だから、なおさら遠慮せず、お互いが言いたいこと言うから
さらに「好き嫌い」の感情が高まるのかもしれません

できるなら
別々の場所に住んで距離を置いて、重要なことだけを話する
そして
「この人は何を言っても考えは変わることはない、性格も変わらない」
「こういう人なんだ!」と自分に言い聞かせることですね

決して、自分から反論することはしないで
相手の心を変えようなんて思わないことです

つまり
自分自身が「悟れば好悪なし」の言葉通りになれば良いのです

もちろん
命にかかわるような危険なことだとか、悪い事には
しかるべき態度で接しなければなりませんが
お互いの感情の部分で好きだの嫌いだの言ったところで
なんのメリットもありません

仲が良いから喧嘩するなんてのもありますが
それとは別次元の問題ですね

人間関係だけでなく
食べものでも言えます
嫌いなものはハナから食べなければ良いだけのことです
嫌いな食べもに、ケチをつける人がいます

それが不必要な感情なんです

 

その部分をもう少し言うと
ちょっと極端な例にした方が分かりやすいので
例えば
伊豆諸島の特産品でもある「くさや」があります
魚の干し物で「くさや液」と呼ばれる独特のニオイの発酵液につけて
天日干しにして、食べる時に焼くと、さらに匂いが「臭い」となります

この「くさや」が嫌いな人は
「くさや」を食べている人に「よくそんな臭いものがたべられるな!」
「その臭みに耐えられるお前の鼻と口が信じられへん!」
と言ったとしましょう

そうすると
「くさや」が好きで美味しいから食べている人は
臭みも慣れればだいじょうぶやし、とにかく旨いから止めれへん
慣れるまで我慢することだ!
と言ったりします

これは、会話として喧嘩にならなければ問題ないですが

くさやと言う食べ物はそういう食べものだ!と認識するのは
くさやが好きな人も嫌いな人も同じなんです

 

そこで
好きな人は食べれば良いし、嫌いなら食べなければ良い
ただそれだけのことなのに

ツイツイ人は、嫌いな理由を言うならまだしも
自分の嫌いなも物を食べている人のことを悪く言ってしまう

その感情が良くないということです

人間関係、料理、見る景色、音楽など
ありとあらゆるものに「悟れば好悪なす」は当てはまると思います

他人が嫌いだと言っていることを無理に好きにさせる必要もないし
他人が好きなことを自分が無理に好きになることもない

ポイント
ただ
コミュニュケーションをとっていく上で
お互いが理解して、敬うことができれば
もしかしたら、
嫌いだったことが好きなことへと変化していくかもしれないですね

それは自分が成長した証かもしれません

最後にまとめ

時代は進化し進歩するスピードは速いです

そのなかで
自分が好きなこともあれば嫌いなこともあります
その時に
嫌いだからやらないのも良いし
嫌いだけど、これはこういうものだと割り切ることが大事だと思います

文句を言うのでなく
何で嫌いなのか?の部分が分かればその部分を改善していくことで
良いアイデアや閃きも生まれるかも知れません。

好き嫌いに文句を言ってそれで相手を傷つけたり
物をけなしたりすることが最も良くないことですね

何も言わない方が賢明です

どうしても納得がいかないなら、ちゃんと改善策を見つけて
改善していくことが重要だと思います