たりきほんがん

普段の会話で他力本願はあまり良い意味でない気もします。
だって「他人の力で願いをかなえよう」とする意味?で使われますからね
じゃあ自力本願なら良いのか?と考える人もいるかもしれませんが
「自力本願」をあんまり使わないし、その意味も少し違うようです

他力本願と自力本願の意味をまずは理解しましょう

日常会話で使われている他力本願が本来は「阿弥陀如来の力」である。
つまり仏教用語の他力本願の意味を少し理解すれば「本願」の意味も解ります
他力本願と言うけど自力本願とはあんまり言わないね、でも自力本願も大事です
他力と自力と本願とセットで考えると元気が出ます
 
先ず、私は特定の宗教を信仰していません
長年生きてきた中で
禅語であるとか仏教用語が日常の会話と深く関係してることに関心があり
本質の意味を知ることで
現代用語が更に未来に向けての活力になれるよう発信しているところです

他力本願

他力本願は阿弥陀如来の本願力とされています
阿弥陀如来はお釈迦様の先生の仏様と思うぐらいで良いと思います

そのあたりの仏教の詳細は検索するとたくさん知ることができます

他力本願に戻りますが
例えば
お寺や神社で手を合わせ願い事とか祈り事をします
それが「他力本願」だと考えるとわかりやすいですね
自分の希望や願いや祈りを仏様や神様にゆだねる事です
つまり
本願力は本当の願い、願望です

他力の部分がわかりにくいですが
仏教では「他力」=如来の本願力を指します

本願他力とも言うそうです

他力=他人の力と言う意味ではもともとないということです

他力本願そのものが阿弥陀如来の本当の願い、願望ですから
一般的な会話での
「あいつは他力本願だから自分ではあんまりやらない」とか言う会話は
普段使いの難しく考えないで使うと良いと思います

自分がどうしても成し遂げたいこととか祈りたい時は
目の前にお寺や神社が無くても
手を合わせ目を閉じて心の中で真剣に願う事をしましょう
これが自分に対する「他力本願」です

自力本願

自力本願と言う言葉はあんまり使わないと思います
そもそも「自力本願」は使う人だけが使っている俗語と思った方がよいです
ただ
他力があるのだから自力があるのは当然で
自力本願=自分の力でなすべきことを行う…
まあ、そういう使い方で現代は会話として成り立ちますから良いと思います

仏教用語では
他力は先ほど書いた「如来の本願力」ですね
それに対して「自力本願」の自力と言う意味も若干現代の意味とは違います
自力=自分、己に自ら備わっている力と言う意味です

例えば
生命には自然治癒力がありますが、こういうのが自力ですね
その他に重力があるところでは物が下に落ちる現象も自力です
後々に万有引力が解明されて物理学としてその仕組みが解明されただけです
仕組みは解明されても自然のままだと物が落ちるのは当たり前です
それは「自然現象」だからですね

自力を深く考えるなら
世の中の自然な現象を自らが知る事が自力である

もう少しだけ突き詰めると
人間は生きていれば心臓は無意識に動いています
そのこと自体が自力で無意識に動いていることに感謝することです

ここでのポイントは
現代使われている「他力本願」「自力本願」すなわち「他力と自力」は
相反するものでなく「自らが自然の力に感謝するから願いや祈りは通じる」
【自力を素直に認め、他力にゆだねることが自然の流れである】

他力本願と自力本願を組み合わされば最強です

ではここから現代の他力本願を
仏教の本願力を意識して自力本願と組み合わせて見ます

現代の会話で使われている他力本願を類語などに置き換えてみると
「他力本願で無責任な人」
「いつも誰かに一任しますって言う人」
「いつも責任逃れをする人」
など
冒頭でも書きましたが他力本願はあんまり良いイメージがなく
オマケに無責任、責任放棄などの尾ひれもつきます

「自力本願で責任感がある人」
「いつも自分に任せろと言う人」
「いつもすべての責任は自分が背負う人」
など
理想にしたい上司的な人の印象でカッコイイですよね

ではもう少し捻ります
「他力本願だと思っていたが実は責任感の強い人」
「いつも誰かに任せると言いながら陰で力になってくれている人」
最後の「責任逃れする人は駄目ですね」
やはり「責任は全て背負うから自由にやってくれ」と言う人がいいです

他力本願の対義語は自力本願ではない

実は他力本願の対義語に「自力作善(じりきさぜん)」があります
仏教用語では他力本願の対義語になります

意味は
「自分の力で良い行いをして積み上げていく」と言った感じです

自主独立と言うのも対義語とされます

意味は
「自分自身の責任のもと努力して業を進める」と言う感じの意味です

現代の俗語的な自力本願を
「自力作善、自力独立」などに置き換えると他力本願が活きてきます

つまり
人の行いは常に誰かに見られているし評価されています
出来ることなら身だしなも日頃の所作も美しくカッコよくありたいです
しかし
人には様々な環境と人格、性格があります
また
人付き合いが得意な人とそうでない人
口が上手い人と口下手な人
イケメンの人、美しい人、普通の人など
ホントに様々です
そんな中で
普段あんまり目立たなくてちょっと頼りないような人でも
実は陰でコツコツと努力して
部下のためとか誰かのために力になってくれている人っていますよね

そのギャップがある人の方がメッチャ素敵です
まあ、無理にギャップを作る必要はないですが
「やるときはやる」みたいな感じです

ここで大事なのは
自分が努力したり頑張ることは当たり前なことだとわかっている人
自分がやっていることとこれから自分の意思でやる事は自分の責任である
他人の成果を認めてちゃんと褒めることが出来る人
などの
自分がやらなければ誰もやってくれないってことと
目の前のことがすぐに成果に結びつかずとも
他人のためであるかのように感じても
それが
最終的には自分自身へ良い形として返ってくることをわかっている人です

ここでのポイントは
他力本願は自力本願を成し遂げるから成り立つ
【自分自身の努力があって初めて願いや祈りは通じる】

最後にまとめ

普段使っている「他力本願」ですが
自力本願と言う俗語も交えて意味を理解すると
今なすべきことが見えてくると思うし
現代の意味の他力本願でなく
仏教用語の他力本願がとても現代の生き方に活かされるのではないでしょうか