なんがくません

南岳磨甎(なんがくません)と読みます

これそのものは禅語でなく8世紀ごろの中国の逸話です

「瓦を磨いて鏡となす」と言う禅問答に繋がるお話です

南岳磨甎の意味を知れば明日からの生き方に役立つと思います

難しい意味ではありますが出来るだけ簡単に考えましょう

結果がすべてと言える本当の意味とは

よく耳にする言葉で
「結果が全て」
「結果良ければすべて良し」

など、聞きます

たまに自分でも使う時はあります

結果さえ良ければ
何をしても良いのかと言うことではありません

誰かを傷つけたり誹謗したりして
仮に結果を得たとしたら
それは画に書いた餅のようなもので
中身を取り出そうとしても無理です

仮に一時的に調子よくても
すぐに綻びるのは眼に見ています

こんなことはどうだろうか?

競輪選手でトップレベルではないが
練習に励みいつかは最高レベルに達したいと思い続けている

誰よりもたくさん練習をしているんだけど中々上位には行けない

そんな中
少し頑張ってランクアップしたレースに出場出来る機会に恵まれ
周りはレベルが1枚も2枚も上であるが「とにかく最後までくらいつくぞ!」

レースは最終コーナーを回り最後の直線、その選手はシンガリである
っとその瞬間前を走っている選手が混戦でぶつかって転倒した
その選手は最後尾を走っていたから巻き添えに合わずそのまま1着でゴール

これは結果オーライ?

誰しもがそう言うであろう

しかし
最初からどうせ勝てっこないと思って走るのと
何とか上位に食らいついていくと思うのでは

その違いは後々の結果に出て来るね

結果は前が転倒したからだが
どうせ勝てっこないと思っていたら単なる棚ボタでしかないね

気持ちでは負けないと思っていたら
幸運は俺に味方した「よし次もガンバル」
キットそう思いその力はもっと大きくなる

以前無我無心について書いたがこれも同じことである

瓦を磨いて鏡となす

南岳磨甎(なんがくません)の逸話の中の
禅問答の言葉です

「結果ばかり見るのはよしなさい」と言う意味です

ある修行僧が
「何のために座禅をしているのか?」と言う質問に
「仏になるため」と答えたら
それは
瓦を磨いて鏡にしようとしているのと同じだ

瓦はいくら磨いても鏡にはならない
座禅も仏になると言う結果を求め
自分を利する修業は修業ではない

利害、損得ばかり考えて行動するのは駄目だ
無心の行動こそが尊いのである

というのが本質の意味である

無我無心書いた事と同じである

この言葉は結果を否定しているのではない

今のプロセスを大事にしなさいと言うことですね

ポイント
結果がすべてであると言いたいのなら
プロセスを決して疎かにしてはならないと言うことです

最後にまとめ

頑張り抜いて得た結果は壊れることはありません

仮に
残念な結果であっても頑張った功績があります
努力してきたことは今の結果以上に後々価値が出てきますね

今をしっかり努力することが重要です