いっさいゆいしんぞう

一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)は禅語です

難しい言葉のように感じますがとても分かりやすい意味です

あんまり難しく考えすぎると頭の中が混乱しますから
今の自分の状況を見て考えて見ましょう

意味が理解できれば元気が出ます

地獄でもあり天国でもある。決めるのは自分

言葉の遊びをしましょう

●「まるで地獄のような一日だった」

●「天国にいる時みたいだった」

これはあくまでも比喩の表現ですね

何かの信仰をしている人はまた違った捉え方をするのだと思いますが
そこら辺りは私は専門でないのでわかりません

「比喩」として素直に使うとすると

地獄はあまり良い場所ではないですね

天国は極楽とも言うし居心地が良さそうな場所です

普段の生活で簡単に「天国と地獄」を使い分けている気がします

それを死生観で使った時の場合は

日々良い事に精進すれば「天国」に行ける

ろくでもない生き方をしていたら「地獄」落ちるぞ

こういった使い方もしていると思います
比喩であるから実際に行ったことがなくても使えますねw

私も行ったことないけど使うことはあります

そして
想像の世界でもあるが現実の世界でもあると思います

事実「地獄のような生活」、逆に「天国のような生活」

現実に置き換えた時「今」どちらの状況かです

現実は想像の世界でなく突き詰める必要があります
なぜそう思うのか?なぜそうなったのか?

そちらの原因を知っていなければなりません

全ては自分が作り出してきたことであるということです


天国のような状況ならより磨きをかけるとか現状をしっかりとキープするでしょう


地獄のような状況なら原点に戻ってしっかり潜在意識から洗心しなければなりません

「地獄のようだ」と嘆くより「なぜ」を探り出すことです

例えば
朝起きて鏡を見て
元気に明るい顔のようには見えるが、モチベーションが上がらず低迷な時とかは
鏡はいつもと同じよう光っていても
心の中の鏡が光らないと見るもの全てが曇ってしまうと言うことです

全ては自分自身の心の中にあります

一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)

この禅語も示しています

清い心も濁っている心もどちらも自分が作り出す

という意味です

現実問題としてそう簡単にいきなり180度
今の環境はよほどのことがない限りは目に見えては変わりません

だけど
意識はすぐにでも変えられます
意識して1つずつ修正して潜在意識に落とし込む

そうすれば
おのずと地獄から脱出は出来る仕組みになっています
そして次は天国へ導いてくれる事になります

そこに焦りは禁物です

意識をスパっと変えたのなら、後はじっくりとした作業です

※確認ですが天国、地獄の考え方は人それぞれ違います

最後にまとめ

映画の世界では未来に行ったり過去に行ったりできます

現実の世界では今のところまだ出来ないですね
数十年後もしかしたらワープできるかも知れませんがねw

ただ
映画の世界でもそうですが
過去に戻って歴史を変えることはルール違反です

つまり
過去は変えることは出来ません

今の現状を変化させていくのは今の自分の気持ち次第です