人生の答え探し

全世界の人口は76億人以上いるそうです
自分の人生は76億分の1ということですよね

人の生き方も76億通り以上あるといことです
時々人は迷い、悩み、苦しみ、
そして今のままで良いのだろうか?
この先どうなるのだろうか?
不安になり間違わないための正解は何だろう?
よくある人生の答え探しの旅に出かけますね

人生の答え?ってことから考えて見ましょう

人生の答え、正解は探しても無駄です、ありません

先ず
このような類の記事を書くと
なんとなく胡散臭い新興宗教だとか
高額なコーチングセミナーや授業の勧誘だとか
最近では
NLP(Neuro Linguistic Programing)神経言語プログラミングの略称
「脳の取扱説明書」とも呼ばれる最新の心理学なんて言うのも聞きますが

私は資格もありませんし何かの勧誘でもありません
まあ、資格と言ってもコーチングやNLPの国家資格というものはありません
ただ、
人材育成であるとか目標達成のためのスキル、気づきなどを指導してもらい
自発的な行動をより高めるために
各種企業やスポーツ界などでも取り入れられているのも事実です
そういったスキル、民間資格、実績を持っている人も大勢います
コーチングを生業としている人たちですね

そういう人達もある意味
コーチング業という職業を選び実践している生き方を選んだ人達ですね

その生き方が正解だとか間違いだとかは答えではありませんね
つまり
人それぞれの人生だからその人が決めたことというだけで
後々その道を選んだことで良かったと思えれば正解だという答え?
後々その道を選んだことが悪かったと思えば不正解だという答え?
となってしまうのかもしれませんが
それはあくまで職業や他人との出会いがそうだったというだけの話です

今回はそういった具体的なコーチング的なアプローチの話でなく
アバウトな人生のもやもやした不安であるとか迷いであるとかの話です
例えば
「なぜ生きるのか?」「何のために生きるのか?」「何をすればよいのかわからない」
一度は考えたことのあるようなないようなめんどくさい話です
その方がとても胡散臭い気もしますがw

生まれて今現在この世の中にいること自体が奇跡的なこと

世界の人口76億人分の1人と先ほど言いました
自分の両親、そのまた両親、その両親・・・・延々に続くくわけですが
祖先、家系、ヒストリー探しみたいのも最近よく耳にしますね
数学が得意な人なら
1家系の76億通りの遡る年数とかを計算できると思いますが
天文学的な数字だろうし、まあ、よほど暇な人しか計算しないでしょうけどねw
ジャンボ宝くじでも1等当選確率は2000万分の1とか言われています
つまり
生まれてくること自体が奇跡とも言えるわけですね

先祖がどのような形であれ途切れずに命を繋いできたということです

先ずそのことに感謝することですかね

とはいっても仮に50年生きてきて
病気もあり怪我もありこれと言って楽しいことなどなかったし
「特に生きている意味ないじゃん」と考えることもあるかもしれませんよね
たいていは
歴史的な人物の哲学的な答えで納得しようとします
その結論的な答えは
「生きている意味は幸せになることだ」
これは
アリストテレス、パスカル、フロイト、トルストイ、カント、プラトン、ソクラテス
全ての人達が幸せ、幸福を願い求めるということを言っています
(もちろんそれぞれの文献に記された中の共通の答えです)

しかし
これには続きと大問題があります
幸せには人それぞれ色々な形や感じ方があります
「今幸せと思えても明日は不幸せに思えるかもしれない」
となると
永遠に幸せを求め続けなければならなくなります
それは
幸せとか幸福でなく生き甲斐だということになっちゃいますね
生き甲斐があることが生きる意味ということではないですよね
現代の哲学者でも難しい課題ですが
結局のところ
「生きてる意味」は説明できないというのが結論です
でも
それではこのブログの記事が終わってしましますw

もう少しだけ何かないかと探ってみると

1 生きている意味なんてはなから考えない人達
2 生きている意味にいつも疑問を抱いている人たち
3 生きている意味は生きているから考えるんだという人達
4 生きている意味を考えることに怯えている人達

この4種類の考え方に絞ってみました

1のはなから考えない人というのは
過去も知らない未来も関係ない
今自分がここに生きているからそれだけでイイ
ある意味無責任で無知な人と捉えられる可能性があります

2の疑問を抱いている人というのは
生きているという実感を求めすぎる人に多いようで
それが幸福感であるとか満足感であるかは人それぞれですが
その欲求が実感できなくなったとき危険ですね

3の生きているから考えてしまうという人は
実にヤバイです。生きなくなれば、つまり死ねば考えなくてよい
自殺願望の強い人に見られるようです

4の生きていることに怯えている人は
とても悪い言い方をすれば生きるのも死ぬのも怖い
生きることに自信もなく、かといって楽観的にもなれない
しかし
4種類の考え方の中では
最も人生の答えに近い考え方だと思います

たいていの人は
何かに不安を感じ怯えることもある
時には楽観的になれて気分が良い時もある
充実した日々だと思える時もあれば
何をやっても上手くいかないときもある
などなど
感情、人の気持ちを考えれば
数えきれないほどたくさんあります

生きていることに怯えているのは
とても人間らしい感情でもあるし
怯えるからそれを打ち消そうと努力する
強く生きようとする
人にも優しくできるし
生きる意味を探り続ける
そして
ずっとずっと生きている意味は分からないままでい続ける
結論はこれだと思います
生きる意味は分からなくてもいいのです
分からないから
一生懸命考えて行動し続ける事が重要だと思います

今の自分の状況で出来ることをやることです

もし今自分が会社の部長になり部下がいれば
部下に命令もするだろうし教育もしますね
部下からすれば上司であるのは当たり前ですが
部下からいつも見られているということです
嫌な上司と思われたくないのは人間です
かといって必要以上に優しくすれば
部下から舐められるし威厳も保てません
部下から慕われていつもカッコイイとあこがれの上司になりたいですよね

今誰かの上の立場にいる状況の時
必要なのは下を見下ろしては駄目ですね
上に昇れば昇るほど頭は低く決して偉そうにせず
大きな気持ちで弱い人たちの力になりましょう

逆に
今、下の立場というと表現が悪いですが
経済状況も低く何らの理由で
気持ちも低迷し行動になかなか移せない立場の人は
上を見上げて良い暮らしをしている人を羨むではいけません
今できることはとにかく前に進むことだけです
一生懸命耐えて生きることです
そういう状況を誰かが見ていますし見られています
それも生き方なのです
つまり
どのような状況でも人それぞれの生き方には役割があるということです
その役く割を見つけて果たしていくことが生きる意味かもしれません

最後にまとめ

人生観とか死生観は押し付けるものではありません
自分で色々考えて悩んで納得していくものです
人生の答え探しは悪くないことです
しかし
いくら探しても答えがない問題です
今日を一生懸命生きたなら
それは死に一日近づいたということにもなります
人生は有限です
でも
この世の中がまだまだ続くと考えれば
今生きていることが死んでからも活かされると考えれば
生きる意味も納得できますし
人生の答え探しが永遠に続く物語だということです
あまり考えすぎてノイローゼーにならない程度に
たまには
じっくり人生の答えを探す旅に出るのも良いかも知れませんね