運命宿命

人生の中で運命とか宿命と言う言葉は結構多く使います。
普段の会話の中でも、さほど深い意味を考えずに使っている言葉ですね
しかし
人は運命と宿命を深く深く考える時が必ずあります

運命と宿命を整理してちゃんと考えておいた方が良い

運命と宿命は大概の人は意味の違いを認識せずに使っているかもしれません
最も多いのが「宿命は生まれつき宿っている命である」
「運命は自らが運ぶ命である」という漠然とした捉え方が多いと感じました
否定も肯定も出来ない事でもあります。それは「その時の状況で違う」から
 

運命と宿命を考えてしまうときはいつなのか?

先ず毎回申し上げておりますが
私は特定の宗教を信仰していません
長年生きてきた中で
禅語であるとか仏教用語が日常の会話と深く関係してることに関心があり
本質の意味を知ることで
現代用語が更に未来に向けての活力になれるよう発信しているところです

と言うことで

普段の会話で
何か運が悪いと感じたときに「運命」を多く使うときは多いです
例えば
「行列の出来るラーメン屋さんで、自分の目の前で売り切れ宣告」
こういったときは「畜生まさかの運命だな!」

「ずっと前から計画していた旅行が台風のため中止」
「何でなんだあ~と言いながら、こういう運命だ!」
など
さほど命に係わる問題でないにも関わらず「運命」を使います

どちらかと言うと
諦めを自分なりに納得させるための言葉として使うときなのと
ついでに
「まあ、もっと早く並ぶべき」だとか
「旅行中に台風に遭わなくてよかった」とか
少しポジティブシンキングで終わらせようとします

次に
宿命を使うときの例として
「先祖代々なぜか我が家系は心臓病で亡くなる宿命にある」などと
少しオドロオドロした言葉ですが、使う時があります

スポーツなどで「宿命の対決」などと言うこともありますが
運命の対決と宿命の対決では重みが違う感じがします

一方
若くして不治の病で命を亡くしてしまった人に対しても「運命」は使いますが
「宿命」と言う人もいます

「運命」と「宿命」の違いの意見が分かれるところです

ここでのポイント
【運命も宿命も普段の会話で普通にあまり深く考えずに使う言葉でもある】

宿命を次ように私は位置づけます

「宿命は自分が生まれる前から決まっていたこと」と解釈する人がいますが
少し疑問があります
生まれる前からという部分ですが、いわゆる「前世」とかだと思います

私は前世を自分の目で見たことがないので分からない
未来も自分の目でまだ見ていないから分からない

ただ、そう言ってしまうと人間としての生き方の部分で誤解されますが
決して信仰や神、仏を否定しているわけではありません
つまり無神論者ではないということです

科学では証明できないようなことが現実に起きていることが実際にあるので
その部分がわからない、不思議の部分です

話を「宿命」に戻しますが

私が位置付ける「宿命」は
「生きる、老いる、死ぬ」の絶対に変えることができない避けられない部分です
仏教では「四苦」と言って「生老病死」がありますね
私は「病」の部分が生きているから病を患うし病気から死に繋がるのと
病気でなく事故の場合もありますから
一概に「宿命」の中に病は位置づけないという考え方です

生きる
これは「生まれてきた時」のことです
生まれてきた場所と時間です
それと
生を作りだした人(つまり親)
これは変えることができない部分です

この生の部分がおそらく前世にも繋がってくるのだと思いますが
後ほど書きます

老いる
これは「加齢して身体が老いていくということです」
それ以上でもそれ以下でもありません

死ぬ
これも「人は必ずいつか死にます」
それ以上でもそれ以下でもありません

この絶対に変えることのできない避けられない部分が「宿命」です

もう少し考えて見ます

「生」は先祖代々、もっと言えば地球に生命が宿ったときから
継続されているものであり途絶えることがないから「生まれてきた」
近年、現代は人間の愛の育みがあって生まれてきた場合が普通です

大昔以前なら子孫繁栄が目的の「生」だったかもしれない
考えたくないが強姦などによる「生」かもしれない
いずれにせよ「生まれた瞬間」にその理由は変えることができない

先ほど書き残した「前世」の部分がこれに当たるかもしれないが
生まれた後に個々が考えたり悩んだりするのが
前世があるから「生まれてきた」と思うのである
これには、「良かった、悪かった」どちらも含まれる考えである

生老病死を考える

仏教では「生老病死」を「四苦」と言っていますね
「四苦」すなわち四つの苦しみである

宿命は「苦しみ」で成り立つことになります

これは難しく考えることはしませんが

「生まれて老いていく間に病を患い死ぬ」この人生は苦しいものだ。
まさにその通りで「人生、生きていることそのものが苦しいこと」
そのように理解すれば苦しみが和らぐかもしれません
結果として
「宿命」だと割り切るのでなく宿命そのものを考える必要性が無くなります
ただ
苦しみから逃れることが出来ることが「死」という教えもあるようですが
それも私は死んでいないから分かりません

「病」については
生きているから病を患うし事故に遭うかもしれないから
病は病そのものの苦しみだと考えます
つまり
「生」も苦しみだとしたら「病」も「生」の一部です

ここでのポイント
【宿命は絶対に変えることができない事と避けることができない事】

運命を私は次ように位置づけます

題名で運命と宿命と言う順番でしたが
宿命があって運命があるのだと考えるべきです

簡単なことですよね

生まれて老いて死ぬのが宿命ですから
運命は宿命の中に含まれると考えます

つまり
宿命は「絶対に変えることができない事と避けることができない事」に対して
運命は「変えることが出来るもの」だと位置づけます

こう書くと必ず
「運命なんて変えれない!」と言う人がいますが
宿命と運命を同じだと思っている人です

単純な言い方ですが「命を運ぶ」のが運命で良いと思います

命を運ぶのは誰の意思なのか?
重要なのはこの部分です

意思=行動

これを前提に話をします

全ては自分自身の意思だということです

ただ、この自分の意思で意見が分かれるとは思います
例えば
「貧困の貧しい医療設備もない場所に生まれて
明日食べるものもあるかどうかわからない」

「紛争地域に生まれてきていつ死ぬかわからない」
と言うような人たちに「運命は自分の意思で変えることが出来る」と言っても
逆切れとまで言いませんが「自分の意思ではどうにもならん!」と言うでしょう

確かに「自分の意思で良い方向へ変えることはできない」
しかし「自分の意思は少しでも良い方向へ進みたい」と思うなら
何らかの行動をします

その行動の結果「良くなったか?何も変わらなかったか?悪くなったか?」
この部分が「運命」です

意思=行動した結果が運命だと思います

運命と愛は切り離せない

最初に書いた「運命は普段の会話で普通に使われている」ですが
よくよく考えるとその延長線上に深い意味での「運命」はあります

「運命の出会い」と言ったりしますが

多くの場合「恋愛」と関係すると思います

恋愛の育みから生があると考えると
運命と宿命は切っても切り離せないということでもあります

ここでのポイント
【運命が先なのか宿命が先なのかはわからない】

運命とは?宿命とは?の答えはない?

「運命と宿命を深く考える時は必ずある!」と書きましたしたが
その時は、自分も含めて近い人(身内、他人も含む)が
人生の終わりを迎えようとしているとき
亡くなった時に深く考えるのではないでしょうか?

その時に「宿命」を自分の中でちゃんと整理しておくことです

整理していて理解していても悲しみや苦しみの感情があるのが当たり前です

それも「宿命」です

そして一緒に「運命」を考えてしまいます
これは「運命は変えることが出来る」と言う前提ですが
「あの時ああしておけばよかった…」などの後悔です

例えば
「親に対して反発ばかりせずにもっと親孝行しておくべきだった」
というシンプルな「後悔」ではありますが、とても多い後悔です

不思議と
生前は言えなかったことをお墓の前で言ってみたりします
「生きている間に言っておけば良かった」という光景です

「運命を左右する」などと大きな変化が考えられるときにも使いますが

普段の生活の自分の意思(行動)が全て運命だとも考えられます

大概の人は目的達成のための目標を立てて行動します
最終的には自分の意思です

その結果が良ければ「運が良い」悪ければ「運が悪い」ともなります

ここで重要なことは「すべては自分の意思で行動した」結果です

運を人任せにしていて運が悪いということはありえない事なのです
しかし
時には自分以外の人の行動に任せなければならない時もあります

あまり考えたくない例ですが
自分以外が運転する乗り物は運転手に命を任せているわけです

それが飛行機だったとして
万が一事故に遭い怪我や死亡したら責任はもちろん自分ではありません

しかし
後悔という運命が待っています
「飛行機にさえ乗らなければ…」
「その便にさえ乗らなければ…」
後悔は必ずします

ただ、後悔しても更に後悔するだけで先へ進めません

つまり
自分の意思以外の行動で起こったことの次の運命が必要です

たくさんの事を考えて苦しんで悲しんで感情をあらわにします

その後
時間がかかっても次へ進まなければならないのです

次へ進むために運命だとか宿命を考えるのです

ただし
それに答えはありません

その時のその状況で運命は変わるからです

ここでのポイント
【運命と宿命は一心同体の命の中にある】

最後にまとめ

かなり重い内容の記事になりましたが
普段あんまり運命と宿命を考えなくてもよい時間を過ごしたいですが
そうもいかないのが人生です

老若男女、富裕層の人も貧困の人も考えることです

先ほども書きましたが深く考える時は
肉体的、精神的に少し低迷しているときが多いように思います

仏教やその他の宗教でもそれぞれ見解は違います

大切なのは
ちゃんと考えて自分自身が前進することです

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