たはこれわれにあらず

今回の禅語は他是不吾(たはこれわれにあらず)ですね

なんとなくわかる気がしますw

修行僧のように深く深く意味を考えると頭の中が混乱しますが

身近なことで例えて見ましょう

他是不吾の意味は決して難しいことではありません

自分でやらなければ能力にプラスされない

極端な例だが
学生の時テストでカンニングをしたとします
それが巧妙で見つからなかって
お陰で単位もとり成績の評価の基準は良くなった

カンニングをして
成績が良いと言うのはおかしな話だが
結果はテストの点数が良かったからですね

カンニングをした人間はその後どうなったか?

卒業は出来てそこそこの企業にも就職できたが
肝心な時に能力は発揮されませんね

能力が元々ないのだから発揮のしようがありません

生きていればたくさんの事を学びます

子供の頃は親から
少し大きくなれば先生から
社会人になれば上司から

アドバイスも受け助言も忠告も受けます

それは尊いものでありありがたいことですね

ただ
そのありがたい言葉を聞いているだけなら
何も身につくことはありません

実際に
自分でやって見て初めて分かることの方が多いからです

自分で実際にやったことは今後に活きてきます

アドバイスを受けたらアドバイスできる人に成る

いつも言っていますが
他人が決めた路線バスに乗るのも良いし否定しません
自分でそれが良いと思いその中で生きていくのも手段です

そこで色々助言、忠告を受けながら進むのも良いと思います

ただ
いつまでも他人は優しく助言はしてくれないし
ある時期が来たら必ず自分で理解して
今度は自分が助言せねばならない立場になります

その立場に立たされた時
今までやっていなかった事だったら助言も忠告も与えられません

おそらくジタバタと慌てて信用も失います

そうならないためにも
自分で出来るうちに出来る事、やらねければならないことは
手を抜かずにしっかりとやっておく必要があります

他是不吾、他は是れ吾にあらず(たはこれわれにあらず)

老師の禅の言葉です

他人がやったのでは自分の修業にならない

仏の道の言葉でありますが直訳すればそうなります

修業=今生きている様

そう捉えたら普段の生き方に当てはまります

難しいことではありません

自分の事は自分でやる事が望ましい

人それぞれ身体の状況や環境は違いますが
出来ることは他人任せにしないで自分でやる

これは他人を信用しないという意味ではありません

仕事上、やる事も増えてきて課が出来て部になり
人員も増えてきたら、
それはドンドン任せて作業効率を良いものにしなくてはなりません

先にも書きましたが
自分がしっかりとやってきたから任せる事も出来ます
自分がやってないことを任せると
不安と言う精神状態でよろしくない感情が現れます

ポイント
自分で先ずは修業してやるべきことをやって
自分が得たものを的確に教えれば他人に任せることができます
そうすれば不安もないはずです

最後にまとめ

人生は色んな状況が考えられます

全ての事を自分でやる事も不可能です

ただ
自分自身の事だけは出来るのなら自分でやりましょう

例えば
自分の部屋の掃除とかも自分でした方が良いのです
今まで見過ごしていた新たな発見があるかも知れません

小さなことですが
その小さな事を自分でやる癖を身に着けることが重要です