しろくろつける

両忘(りょうぼう)という禅語です

決して両方とも忘れてしまうと言う意味ではありません

奥が深い言葉ですが両忘の意味を知れば
日々の生活、日々の行動に自信が持てるようになります

あまり使わない言葉ですが
意味をしっかりと理解すれば忘れることのない言葉です

禅語には奥深い意味がありますので今回の両忘を覚えておきましょう

どっちでも良いことに時間を費やさない

白なのか黒なのかハッキリさせたいときというのは
正しいのか?間違っているのか?良いのか?悪いのか?
などのちょっと緊迫したときに使われますが

そうではなく日々世の中では
議論して賛否を問う作業は当たり前のように行われます

三権分立のルールの中で行わることはとても需要であるし関心も高い
そこに自分の意見や意思をしっかり持つことも大事ですね

そういった重大な事柄は置いといて

普段の日常での出来事を考えた時

自分だけの問題なのに他人を巻き込む人がいます
逆に他人の問題に入り込む人もいます

そこで起きることが
自分の意見を他人にに押し付ける事です
自分は自分、他人は他人と言う考え方の方が摩擦は起きないですよね

まあ、人間関係が良好ならいいのですがねw

ただ
お互いがどうする?となったときに意見を交換するわけだが
お互いの主張が強すぎるとそれは平行線で
お互いがお互いの意思を尊重し合えば
良い部分だけを取り入れることが出来るし
スムーズに上手くいくことが多いと言うことを分かっておかないと駄目ですね

そこで
相手がある時なら尊重し合えますが
相手が自分自身だったらどうするか?
自分自身の心と闘うことになるな気もします

往々にあることだが
人は自分と自分自身で格闘していることが多い
実はそれはハッキリ言って無駄な時間である

常日頃から心と会話をしていれば
どちらでも良いような事柄は自然と流れに沿って決めてくれます

それが潜在意識ですね

今日は焼き肉が食べたいと思ったなら
食べたいものは身体が要求しているのだからそれに従うだけである

肉を食べるつもりが寿司やの店の前を通るとサービスデイだった
ツイツイ値段につられて寿司に変更してしまった時
つまり
目先の損得で動いてしまうと
結果、後悔と言うことも多くありますね

自分が今やっている事に集中すれば
邪な自分に関係ないことはどちらでも良いはず

他事に、ああだこうだ言っているうちは
自分が今やるべき事が不安定な状況であるとも言えます

不安定であるから外に眼がいきがちで
どちらでも良いことにフワフワしてしまうのです

自然の流れに任せた方が新たな発見があったりします

器を磨いてどっしりと構えることが重要

器を磨くと言うのは洗心でもあります下記記事を参照してくださいネ

では冒頭の禅語の両忘です

「白か黒か」こだわりを忘れなさい

直訳はそういう意味です

仏教の修業の場所では
好き⇔嫌い
真⇔偽
善⇔悪
苦⇔楽
美⇔醜
幸⇔不幸
生⇔死
これらの対立した事情は忘れなさい
これらのこだわりから抜け出しなさい
そうすると楽になり余裕が生まれる
そう言ってます

とは言うものの現実の世界では
対立があるから世の中成り立っているとも言えます
(紛争とか戦争の対立ではなく議論の中の対立)

少し現実に当てはめてみると目的が同じで何をするか?
そこで色々な意見が出ることは良い事です
ブレインストーミングは正にそういう場所ですね
そこでの議論はどんなに激高しても良くなるための手段である

どちらでも良いじゃないかと思えるような事が多々あり
それで怒りであったり恨みであったりが生まれているのも事実です

些細なことで悲惨な事にもなりかねない

人間同士であるから環境も違うし考え方も違う
ある程度生きれば価値観と言うものも持つ

その価値であるが
お互いが尊重し認め合うなら素晴らしい
もしそうでなく「それは違う」そう思ったら
自分は自分、他人は他人で終わるべきである

自分の価値を無理やり分からせるのは押しつけであり
必ず摩擦が起こります

分かる人だけが共感すれば良い事である

そして常に自分の心が穏やかならば
相手が何を言ってきても腹も立たない
ス~と目の前を過ぎていくであろう

もう少し言うと
自分の心が磨かれていて綺麗な器であれば
そこにある価値は「自信」です
しっかりとした「根拠のある自信」です
それを持っていれば対立はおこりません

いつもどっしりと構えていれば良い
どちらでも良い事に時間を費やす必要はなくなる

最後にまとめ

行きつくところは意識と潜在意識の関係になります

そして洗心が重要ですね

禅語から潜在意識、モチベーションについて色々と考えています

少しゆっくり別方向からも考えていきたいと思います