赤ちゃん女の子

紅炉上一点の雪(こうろじょういってんのゆき)と読みます

禅語です

紅炉上一点の雪の意味はとても美しいですね
忘れかけていた自分自身の潜在意識の中身を思いだしましょう

美しさの中の純真の部分です

その純真の意味も知っておかなければなりません

難しく考えずに紅炉上一点の雪の意味を見ていきましょう

純粋な心を持ち続ける意味とは

人は産まれた時は純粋なのは当たり前だね
生まれた時から捻くれ者の赤ちゃんはあまりいない

成長と共に知識もつけていきたくさんの事を学ぶ
生まれてから死ぬまで,ずっと学び続ける

普通に学び育てば何も言うことはないのだが
残念ではあるが
間違った方向へ行ってしまう人はいる

それはどこで間違ったのか?
ケース・バイ・ケースであるけれど
一つ言えることは
本人が気がついて分かってやる事に関しては
たちが悪いし今後どうなるのか心配します

そうではなくて気がつかないで
間違った方向へ行く場合がありますが
これはどこかで早く気がついてほしいと思う

気がつくと言う余地は残されているからね

そういった事も踏まえて
人はそれぞれに与えられた事を
真面目に学びながら頑張るものである

それが生活の手段であるのか趣味なのか?

それも多々あるね

ポイント
どのような場合でも
何かを一生懸命やっている姿は美しい
そのようなことは以前にも書いた
集中すると目つきも凛々しくカッコイイ

紅炉上一点の雪(こうろじょういってんのゆき)

純粋な心を燃やして邪念を吹き払え

そのような意味である

熱い炉の上に雪が落ちても一瞬で溶けてなくなる

直訳はそうであるね

紅炉=仏心、仏性
一点の雪=煩悩

簡単に自分自身に当てはめてみる

紅炉は自分自身である
そこに誘惑であるとか邪なお誘いがあっても
熱い情熱があれば弾き飛ばすことが出来る

昨日の続きにはなるが
情熱と純粋な心は共通点があるね

今自分がやる事、集中していることに
誰も邪魔できないのである

そこには濁りのない美しい空気が充満しているからです

最後にまとめ

純粋な心しかないと言うことは
純粋に今、目の前のことに取り組んでいるから
それが情熱として気を発する

とても熱い熱い素晴らしいものである

純粋な心はいつまでも忘れてはならないのです