ひゃくふちひゃくふ

今回は
謙虚と百不知百不会(ひゃくふちひゃくふ)の意味を考えて見ます

難しい言葉ですが意味を知ればなるほどと思います

いつの時代にも大切な謙虚という言葉
禅語では百不知百不会がぴったり来ますね

これから生きる上で役に立つと思います

一流であるなら謙虚も一流であれ

先ず謙虚と言う言葉を理解しているでしょうか

相手を敬い素直な態度で接し偉そうな振る舞いをしない

という意味です

=相手を敬って自分は控えめにする
=空っぽ、悪い心を持たない、素直

そう言うことですが
間違った謙虚な心でいると先には行けないですね

間違った謙虚と言うのは
謙虚な気持ちと遠慮する気持ちを勘違いしている時です

競争が厳しい社会の中で遠慮していると
置いて行かれるどころか潰れてしまい先が見えなくなります

挙句の果てに他人を羨む思いばかりがつのります
そのまま気づかず再挑戦もせず終わることもあります

勝ち取るためには先ず自分に勝たなければなりません
相手がいるのなら相手より強くなれば良いことです

どこまで行っても自分の気持ちとの闘いでもあります

この自分自身の闘いで遠慮する必要はありません

遠慮しないでどんどん攻めれば良いのですが
分からない時に人に聞いたり教えてもらう時は
自分の方がちょっと上の立場であったり先輩であっても
偉そうな態度でなく謙虚でいなくてはなりません

たとえ収獲が得られなかった時でも
すでに知っていることであっても
相手を敬い素直に接すれば
思ってもいなかったことが学べるかもしれない

謙虚な気持ちで接っすればその時でなくても
後々必ず成果として収穫できることが多いです

謙虚な精神で一流になった人は一流になってからも謙虚な人が多いですね
ずっと謙虚な気持ちで学び続けている人です

ただし
自分自身の気持ちにも強くて自分との闘いに遠慮などする人はいません

私はそう思います

よく
他人を踏み台にしてでも勝ち取れとか
少しぐらい汚い手を使ってでも勝てとか言われますが

それは間違っていますからね

相手を踏み台にしたり汚いことをやると
その時は勝ち誇っても必ずしっぺ返しがきます

最近はブーメランとか言われますがw

ポイント
これは綺麗ごとではなく
どのような状況でも知能を使い知識を使い
また技も使いルールにのっとって勝利することです

百不知百不会(ひゃくふちひゃくふ)

禅語です

どれだけ偉くなってもいつも真っ新の状態でいる

という意味です

仏教の世界だとしたらその道で修業して
苦しいことや辛いことを乗り越えて
ようやく達観とか悟りを開けると言う事です

スポーツ選手、アーティスト、社会人なら
男も女も皆同じで、何かを乗り越えて掴んだものはあるはずです

その掴み取った感動や喜びは思いっきり表に出して良い
だが、それを自慢してひけらかすことはあんまり良くないですね
特に得意ぶったり、利口ぶったりは鼻につきます

自慢でなく素直に喜ぶ時は喜んで
次の喜びのためにまた頑張るのは良いことですね

そこは遠慮せず喜びを自信と力に変えていきましょう

最後にまとめ

人生でついつい遠慮してしまうことがありますが
遠慮したためにチャンスを逃すこともあります

人と接する時は遠慮せずに聞くときは聞いて
遠慮せずに自分の意見も言うことも大事です

ただ
そこには常に謙虚な気持ちがなければ得るものはありません