ライオン

一日不作一日不食
(いちにちなさざればいちにちくらわず)と読みます
今日の禅語
一日不作一日不食の意味をじっくり考えて見よう

一日不作一日不食の意味は単純に考えるべきですね

必ず楽しい日になります

自らの心の作業は自分しか出来ない

妙なタイトルであるが難しいことではないですよ

一日24時間の事を考えてみよう

時間は変わることなく秒針を刻み続けています
その中で人は
それぞれに与えられた事を消化していきます
仕事、学業、趣味、家族とのスキンシップなど
24時間の中で調整しながら時間割をします

仕事なら作業を部下に教えたり任せたり
役割分担もありますから一人でやる仕事以外は
連携しながらコミュニュケーションを取りながら
プロジェクトを進めるのは当然のことです

朝起きて
顔を洗い、朝食を食べ、身支度をして
「いってきます」となる当たり前のことは
自分でしか出来ないことです

先天的、後天的に障害がある方は
介護の方や家族の方の助けも必要である
(しかし基本は自らがやる)

健常者なら起きてめんどくさくても
文句も言わず自分でやることです

それらの自分でやらなければならないことを
どのような気持ちでやるか?

これが今日のポイントである

潜在意識は体内に休むことなく
血液も酸素も運び細胞も新鮮な状態に作り変えているわけです

先ずそれを意識して理解しなければならない

もし
24時間の中で自分にしかできないことを
疎かな気持ちでやってしまうと潜在意識も「どうでもいいか?」となり
良くない方向へ行くことがあります

 

ポイント

朝起きてどんなに辛くとも
「しんどいけど今日もお願いします」
「頑張ろう!」
自分自身に感謝とエールを送り続けると
歯磨き一つも変わってくる
掃除も洗濯も炊事も全ては感謝に変わります

そして一日の終わりが
身心共に達成感と清々しい心で眠れるはずです

 

一日不作一日不食(いちにちなさざればいちにちくらわず)

直訳すれば

自分が努めるべき努めを果たす

という意味です

仏性、禅の修行でも同じなのですが
掃除、洗濯、炊事、畑仕事、草取り、剪定など
日々身体を動かして働くことを重視しています
「仏作仏業」
日常の作務こそが修業であると言う教えです

修業に終わりはないわけだから
修行僧一年生も身分の偉い僧侶も
おそらく同じ作務を日々こなしているであろう

もし一日たりとも作務を怠れば
その日は腹を満たすことなど出来ない

修業の基本中の基本である

報酬が発生する働きで
働かざるもの食うべからずと言いますが
それとは違います

修業に報酬などないと言うことですね

普通の生活の中で自分の行いに当てはめるだけです

ポイント
掃除、洗濯、炊事など
それが出来ることに感謝をして
潜在意識を常に気持ちよくさせることで
その日の食事の味は格別になります

最後にまとめ

24時間メリハリもつけながら動くとき休む時全ての時を大切に
そして心に恥じないように精進すれば気持ちよく過ごせます

心の中の掃除は自分でするしかないんです